夏休みの工作(工具箱)

デュアルの「1日が長く1ヶ月が短い」という深い深い格言のような言葉に魅せら考えさせられた。
確かに年々と外部刺激が薄れ、生活も短調になりがちではある。初老といわれる年になってしまった俺たちの世代はまさにそうなのだろう。同世代の友人なんかもそんな話が多い。ひたすら薄くなった頭を気にすることも無くなり、「あるがまま」のスタイルに翻弄する同世代。

が,

それは一般的な話。俺もデュアルも周囲からしてみりゃ驚愕されるほど老けてないし、柔軟な思考回路を持っているからこそ「1日が長く1ヶ月が短い」という深い深い格言のような言葉がでてくるのだと思う。深いなぁ本当。


さて、我が家、こと俺にしてみるとご周知の通りRAMさんという生き物は毎日が玉手箱格闘であり、本人は毎日「時間が足りない」わけだ。当然ながら睡眠時間まで削って趣味に没頭することもしばしば。そんな俺の凝り性な性格というか行動パターンは我が家族にとって「変人の域」に到達しているようであり、しばしば「あ、RAMさん趣味に没頭中だから、ほっといてあげて」という家族の会話を耳にする(笑)。そんな時は飯も食べないし、周囲も見えてないし、徹夜が続くこともザラなのでまぁそれが「RAMさん」というキャラクターなのだろうと自負し、できるだけ被害が最小限になるように気をつけて。。は、いる。つもりWWW。

今回はそんな俺が夏休みに一心不乱に手がけた「工具箱」についての楽しいお話でございます。


まずは経緯について
悠時も一真も進学し、中学生高校生になったことをキッカケに二人で一部屋だった子供部屋をプライベートを尊重した個室をそれぞれに割り当てることになった。
兼ねてから豪姫の部屋は物置になりがちで問題視されていたが、この気にエイッ!(/>ω<)/゜・。・o゜◇と豪姫の荷物をリビングと座敷に移動したりとプチリフォームをしたことから始まり。
それぞれに自分の部屋を割り当てたので、座敷に共通で使っていたクローゼット(俺の手作り)の中身もそれぞれの部屋に移動し、6年ほど利用したクローゼットを解体した。この時に出てきた木材の廃材と2段ベットをシングルベットに変更した廃材を再利用してなんか作ろうかな〜というのが今回の課題。


真っ先に思いついたのは今回のテーマである「工具箱」。押し入れの一角に押し込んだ日曜大工の工具類は、何かしら製作するたびに備品が増えてしまい、上から上へ積み重ねるというとんでもなく使いにくい状態になってたので、工具箱を買おうかとアマゾン見てたが思い描く工具箱が見当たらず、スチール製の工具箱は20万以上する。車のガレージで工作する訳ではないのでWWW、押し入れにすっぽり収まる感じでカッコいいオリジナルの工具箱を作ろう。

初期のイメージプロット

まーこんなもんです。
何となくイメージを膨らました段階で製作開始。

今回最大の目玉がこれ。木工用テーブルソーだ。

内訳はこうだ。部屋を片付ける際、タンスが4つ要らなくなった。捨てるにはお金がかかる。プラズマTVや家電なんかも含め、トータルで業者に見積もりをお願いしたら全部で8万円!なんとゴミを処理するだけで8万円〜10万円もかかるとのこと!

足元見やがって!そんなんなら自分で丸ノコ購入し、一般ゴミサイズまで自分でカットすりゃタダで捨てれるやん。

で、2万5千円で丸ノコ付きのテーブルソーを購入した。中国製で最初丸ノコが恐ろしく、恐る恐るのタンス解体作業から始めたのだがその切れ味も凄まじく、半日あまりでタンス4台全て解体カットし、通常ゴミで捨てられる60cm以下のブロックサイズまでカットし、タダで廃棄することができた。テレビなんかの家電は直接ゴミ処理場まで持ち込み3千円程度で回収してもらった。
そもそも10万かかるところが木工用テーブル2万五千円の実費のみでトータル3万以下で解体作業ができた。7万円もお得!当然木クズもすごかったが、家族で手分けしセッセと片づけも終了。

壁紙を剥がし、青が良いということで壁紙も張り替え、巾木も自分で張り替え。子供部屋はモダンな部屋に生まれ変わった。

いよいよ、「工具箱」の製作で必要な物で、スコヤ(定規)角固定用のクランプ、塗装、金具(取手)などを購入。


端材を購入したテーブルソーでスコヤを使って正確に切断。端材も計算し、無駄のないよう切断できた。うーん使う機材が一丁前なだけに仕上がりがプロ顔負けだ。

そして完成したのがこれ。

タンスにピッタリ収まるキャスター付き工具箱の側面。その名もRAM ToolBOX “paradox”

天板はアメリカンレトロな感じで塗装を仕上げ、基本ベースは軍事物払い下げの工具箱のような仕上がりを目指した。

ミニタリーカラーの塗装は思惑通りの仕上がりとなった。
今回の目玉はこのスライド式のレールに仕込んだ「有孔ボード」縦型スライド4段レール。有孔ボードは天板と同じくレトロ長ブライワックスを使用。縦型のレールは引き出しに使われるサガツネのスライドレールを挟み込むように縦向きに配置し、狭いスペースでも取り出しやすいように配慮。さらにはユニット式のボックスにし、スライドレールだけボックスで取り外せるようにした。

取り外し可能な縦型スライド4段レール
ボックスの中から工具ボックスを取り外しできるというアイデアも盛り込んだ。

ミニタリーの雰囲気を一際際立たせるのが、ステンシル加工文字だろう。ここでは実は以前「主張するマスク」編で課題となっていた文字の繰り抜き。これには別途カッティングマシンを導入
https://europort.jp/cameo4/index.html

ステンシル文字をカッティングマシーンで切り抜き、シールを貼って艶消しの白で塗装するという凝った作業をした。結果は上々。持ち手部分はそのままカッティングシートを貼って完成。(カッティングマシンも買ったので、マスクの製作もぐんとプロっぽいというか、売り物にしても遜色ないレベルに到達した。これはまた別の話で紹介する)

ステンシルシートには工具の型番をミニタリー調に加工
元が廃材なだけに木材が色々痛んでいるが、ミニタリー調な仕上がりの為、なかなかいい味を出している。

廃材とその他諸々で4−5万程度の実費は掛かってるが、おそらく購入するとン十万はくだらないであろう「工具箱」が完成した。製作期間はおよそ三週間。いやー楽しい時間でございました。工作って楽しいぜー^^

そんな夏休みとコロナ休暇でした。ちゃんちゃんWWW

コロナ直撃

悠時が遂にコロナ感染(バスケ部パンデミック)してしまった。その二日後、豪姫がコロナ感染。

そして、今私、コロナ陽性でございます。
症状は風邪症候群そのもので、病院で出される薬も相変わらず特効薬はなく、頭痛かったら頭痛薬飲んで、喉痛かったら咳止め。やれやれだ。

こっちは40度超える熱でうなされているのにも関わらず、保健所やら市役所はコロナ登録確認で容赦なく連絡してくる。奴ら暇人だな。

それにしても何回ワクチン接種しても全く関係無くコロナに感染するって本当だったのね。やれやれだ。

社会復帰は9月8日予定。ま、一真が感染してしまったら目も当てられないが・・・。

大人っぽい漢字

「本日家族がコロナに罹患後の後のため、8/8までテレワークを…」というメールが届いた。

お恥ずかしながら、わたし、「罹患」という言葉を知らず、気になったのでググってみることにしました。


罹患(りかん):意味:病気にかかること、疾病すること。


うーむ、ひとつ勉強になった。
単にコロナに感染したなら「感染」でも良い気がするが、「罹患」という言葉に置き換えるだけで妙に美しい。

コロナに感染しました。コロナに罹患しました。

うーむ知らなかったWWWW

かつて(今も?)お相撲さんが、大関に昇進するとき、どこからか四文字熟語を引っ張り出し、昇進の言葉に添えていた時代があったよね。
貴乃花の不撓不屈、貴ノ浪の勇往邁進、若乃花の堅忍不抜。。。
一方、私の敬愛する千代の富士はなんて言ったと思う

「一生懸命頑張ります」だ。

一生懸命!。いい言葉じゃないですか。何も難しい漢字を調べなくとも十二分に通じるWWW。

つまりだ、コロナに感染したと書けば良い訳で、あえて「コロナに罹患しました。」と使う人間の・・・何やら

私は良い大学出てますよ。私にとっちゃ普通の漢字ですよ。それが何か?

とでも言いたげな嫌味にも見えるWWW。

ところが、この「罹患」という言葉。感染後、完治後を示す言葉としてはかなり優秀で、「罹患後」と「後」を付けるだけで即ち感染後、完治後を表す言葉になるってんだから驚きだ!。

お!いや待て、送られてきたメールには確かに「罹患後の後」と書いてある。

罹患後だけで感染した後を示すわけだから、「罹患後の後」って感染した後のそのまた後ということになり、これは使い方を間違ってるぞなんてこったい!WWWW


ははーん、コイツしったかぶりして罹患後で良いのに罹患後の後って書いちゃったんだ。カッコつけて墓穴を掘ってしまったわけだザマァWWW

例えるなら「台風一過」という言葉の意味を知らず、ついつい台風一過の後と言ってしまったみたいな事だな。いやぁ恥ずかしいWWWどうよWWWW

はぁ日本語って難しいね。りかんね罹患。チャンチャン。

猛暑のドライブ

週末、一応兼ねてから計画はしていたのだが、福島鍾乳洞「あぶくま洞」から鶴ヶ城、白虎隊が自刃したという飯盛山。帰りに桃を買って帰るというミッションを決行した。
7月31日日曜、早朝4時起床。5時に出発。6時に印西で豪姫のご両親と合流。車をバンに乗り換え高速へ。
とにかく、こちら方面は、あまり大きな声では言えないが、激震の後高速道路が最後まで断絶していた所謂「放射能」が怖い場所。避けていた感もあるが、ここ近年のコロナ騒ぎ軟禁状態でタガが外れた我が家族は、「どこでも良いからこの機会にドライブしたい」という切羽詰まった要求に応える形で実現した。
高速道路はスムーズに流れていたが、とにかく大型車(トラック)がめちゃくちゃ多い。目に見える範囲では全体の9割が大型トラック。この方々が流通を支えているのだと思うと「ご苦労様です」なのだが、恐ろしく運転が荒いトラック野郎が多い。そしておそらく200K越えで車の間をすり抜けあっという間に見えなくなるバイク野郎!一瞬の判断ミスで死ぬどころか、周囲を巻き込み大惨事になることが判っているのだろうか。郊外の、のどかな景色とは裏腹に、何度も冷や汗を滲ませる怖い思いをした。
まぁそんな恐ろしい高速道路を無事通過し、およそ三時間で最初の目的地「あぶくま洞」に到着した。

昼前で外気は既に40度。鍾乳洞内は10度。一気に30度の温度差。冷蔵庫の中の神秘の空間だ。事前に判っていたことなので、皆上着を準備していたのだが、なんと、鍾乳洞内の湿度が120%ということが解ってなかった。
考えてみれば常に鍾乳洞内は山に溜まった雨水が滴り落ちているわけだし、そりゃそうなんだろうね。・・・とは思わないよね(笑)。「おー寒い」で上着を着て、ものの2、3分で汗が大量に吹き出し、「・・・上着きれないね(笑)」というオチだ。
奥に進んでいくと本当にすごい自然の神秘を堪能できた。残念なのがおそらく最初に探検した探検隊のネーミングセンス!いちいちパネルで紹介してあるのは親切だけど「クリスマスツリー」だの「妖怪の塔」だの、ネーミングセンスに一貫性もなく宜しくありませんWWW.
とわいえ、時に神秘的で恐ろしくもある鍾乳洞の神秘。ライトアップも綺麗で、本当に堪能できた。おすすめです。

鍾乳洞を出て、太陽の光を浴びる。わずか30−40分の滞在時間だけど、別世界から地上に出てきた時の爽快感は格別でした。脳内のドーパミン噴出しまくりリフレッシュ全開でございます。

俺的にはもっとこのあたりを散策し、それでおしまいでよかったのだが、豪姫のご両親が子供たちにどうしても白虎隊の歴史を見せたいリクエストもあり、そこから一時間半ほど高速で移動し、会津若松市のシンボル「鶴ヶ城」へ到着した。城下町は風情もあり、車で移動するだけでもレトロな街並みに癒される。面白いのは駐車場の位置。城の堀の中まで通され、本物の城壁をウネウネ通り過ぎた先に通される。
東京ドーム6個分の広さがあるそうで、目的意識を持って移動しないとあっという間に日が暮れるほどの広さだ。

とにかく暑い!WWW。歩いて天守閣を目指すが、ながーい坂道はつらい。汗が噴き出し漸く入口。まぁ当然ながら城の中は冷房も効いていないわけでゲロ暑いなか、扇風機が熱風を回し、天守閣まで回廊を歩く歩く・・・。各階に「白虎隊」曰くの品々が展示してあり、自刃に至るまでの経緯を事細かく紹介されていた。赤煉瓦も堪能できた。


子供たちはというと、まるで興味がない!親の心子知らずとはよく言ったもので、じいじ、ばぁばも暑さに萎えてしまい、それどころではないWWW。
そんな中、小学生の修学旅行団体らしきガキの集団がワーワー押し寄せてきたので、逃げるようにショッピングモールへ避難。ここだけは冷房が効いている。思わず財布の紐が緩む仕組みだWWW

続いて最終目的地の飯盛山へ移動。なんにしろ「お墓」なので、特に特出することもないのだが、テレビで見たことがある「183段の石段をのぼらず、エレベータで登る」という例のベルトコンベアに乗ることができた。
https://www.gurutto-aizu.com/detail/393/index.html

白虎隊十九士の墓、白虎隊自刃の地、戸ノ口堰洞穴を見学し、「会津さざえ堂」を散策

上りと下りで人とすれ違わない木造の不思議な建造物?ダビンチが設計?いろいろ曰く付きだが、国の重要文化財だけのことはあり、珍しさはピカイチ。別に登って降りたらお経一回読んだことになるとかの伏線もなく、ただ不思議なだけのお堂。ぶらタモリで見た気がするが、なんとも面白い体験でした。

さーて全ての目標をクリアし、高速の道の駅で「桃」も購入し、帰路へ。・・・帰りはこちらも血走って運転してるので、トラックの猛追もなんのその。コッチもぶっ飛ばしてトラック野郎と同じ気分で運転すれば、なにも怖いことはないWWW。
帰宅したのが23時。 朝6時から実に何時間運転してるんじゃ??いやぁぁヘトヘトでございます。でも、楽しいショート旅行でした。
今度は「あぶくま洞」だけで行きたいなぁぁ〜。

ご当地ナンバーにしてみた。

まぁ〜デュアルには気の遠くなるほどに無縁な話だとは思うが(笑)かなり手間ひまかけてご当地ナンバーに切り替えることにした。
というのも、俺が住んでいる地域「松戸」にまつわる話。実は松戸には令和2年5月11日まで「松戸ナンバー」が存在せず、松戸=野田ナンバーとして登録されていた。

正直ダサい!ご当地ナンバーランキングでは富士山、つくば、越谷・・・野田。と常にTOP10にランキングされる不名誉な野田ナンバー。


だってさ、野田ってどこよWWW


TOPに野田ナンバーは埼玉県のナンバーって書いてある。いやいや千葉県野田市なんだっつーの。この県境にある野田市。チーバくんの鼻の辺りをぜーんぶ野田にしてしまってたのだった。


いえね、あんま気にしませんょ。でもさ、BMW乗ってたときは態々「・・・1」を抽選で取得したのに「野田」ってさ、THE 田舎の背比べじゃんね。

そこがほれ、オリンピックってあったでしょ?あったよね?あれ?あったよね!あのとき、オリンピック参加国を「おもてなしー」ってやってたのが柏だったり松戸なのよ。
んで、国土交通省が地方版絵柄入りナンバープレートにかこつけて、柏、松戸のナンバーが交付されることになったっつー。いえね、俺はそう思ってるんだけどねWWW

そいで、2019年、松戸ナンバーは「矢切の渡し」に決まったのよ。

桜と船頭さんが風流なこの図柄。いいでしょー。というわけで、ナンバーを変更することにした。

さて、変更するのは良いが、どーせなら希望ナンバーに変えたい。抽選が必要なゾロ目や8、3などの中国人大好きな末広がり文字。そんな中、

俺が着目したのは「縁起の良さ」だ。


358


一見なんの脈略もないこの数字。実はお釈迦様が悟りを開いた35年8ヶ月だったり、なにより密かにブームになっているらしい演技の良い数字で、358にするだけで燃費が良くなり、事故を起こさないわ、警察にも捕まらないわ、病気は治るわ・・・といいことづくめ。

もう358で決定だね。


早速抽選を行い、あっさりと当選したので、交付手数料と寄付金=8,480円(交付手数料:7,480円 寄付金:1,000円)払い、陸運局からの連絡を待っていた。
一週間ほどで陸運局から「ナンバープレートの準備ができた」お知らせが・・・ん?平日16時までとな?くそ!お役所仕事しやがって、バタちんに文句言わにゃ〜なんて日程調整に右往左往していた。

実は同じタイミングで古いテレビ(レーザーとレグザ)を処分するために色々調べていて、最安値がメーカーから型式を調べ、チケットを購入し、指定廃品回収業者に引き渡すことでショップなどの持ち込みで必要なお金が浮くという(総額1万4千円も浮いた)話があり、その指定廃品回収も平日だったので、会社を休んで昨日行ってきたというわけだ。
まず朝市でテレビを廃品回収業者へ引き渡す。先方は手慣れたもので、書類に不備がないか確認し、型式を確認し、はい引取OK!あんなに邪魔だったテレビが軽く処分できた。

つづいてその足で陸運局へ。受付に予め準備した確定書類を渡すだけかと思いきや、考えてみれば当たり前なのだが、車検書も新しく作り変える必要があり、受付の人は親切丁寧だったけど、「はい、この書類に書き込んで、10番窓口へ」「はいこの書類に書き込んで6番窓口へ」「はい、この書類に書き込んで3番窓口へ」と実に様々な書類を書き直しちゃ提出し、提出書類と合わせ別の書類を入手し・・・と目の回る作業。
まー一般人の姿は殆どなく、ディーラーさんやらメーカーさんやらが引っ切り無しに右往左往していて、そのほとんどはインド人!日本語が読めないとのことで何度かインド人と話したが、俺より詳しいじゃんこと人!ってのに舌を巻きつつ、いよいよナンバー交付となった。

なんと自分でナンバーを取り外し、自分で取り付け、最後に後部に陸運局の封緘を確認し、新しい車検書を受けとって作業終了。

そして交換後

いやぁーーーばーーっと文章書いてるけど、そりゃもう素人が手を出すにはハードルの高い作業でしたWWWま、楽しかったけどね。テレビ処分から移動も含めトータル8時間。がっつり有給を消化したのでした(笑)。

どーでしょう。矢切の渡しバージョンの358ナンバー。なかなかよろしいんではないでしょうかWWW自画自賛で終了。