通勤電車の過ごし方

コロナに関する特別な対応がなくなった3月から電車通勤となり、4月から在宅勤務の日数も減った。

その結果、何が起きているかというと、スマホの通信量の増大だ。

最初は3月と4月に発生したお袋さんの入院騒ぎとBUMPツアーの参戦による長距離移動に伴うブラウジング頻度の増加がだと思っていたが、それらが一段落した5月の連休明けからの通信量の勢いは収まっていない。

それまで、月間のデータ使用量は4Gを下回るペースだった。たまに4Gを若干上回る程度。
それが3月以降、7Gを上回るペースになっている。今月も残り3日を残し、残り300M程度で7Gを上まる。私のプランは5Gピタッとプランなので、それを超えると追加料金が発生する。

その原因は朝と夕方の通勤電車内でのブラウジングだ。間違いない。

これは何とかしないといけないということで、通勤電車の過ごし方を再考する。

出勤時の通勤電車は座ることは少ないので寝るのは無理。なので、kindleかオーディオブック、あるいは紙ベースの文庫本で過ごすことにする。

帰宅時の電車は座ることは可能だ。ただ、この時間帯に寝るのは厳しい。ここでも朝の続きとなるのが理想だが、ダラダラとブラウジングしてしまいそうだ。

でも、通勤中や帰宅中のデータ通信を抑えることができればかなりのデータ量を抑えることになると思う。

おれ、頑張る。使い放題プランなんて・・・あ、それかUQモバイルに変えるかな。。。
家族かけ放題がないのがネックなんだよね。。。UQ

苦手な歯石とり

思い出したように歯石取りに行く私

今も約半年以上ぶりに歯医者で歯石を取ってもらっている。

で、毎回思うのだが何故歯石取りというやつは痛みが伴うのか。

ネットで調べてみると、基本は痛みはない。歯科医の腕の差もほとんど関係ない。器具の違いも関係もない。
痛みが出るのは多少なりとも歯茎が腫れているから。つまり歯周病だから。。らしい。

この説明に半分納得するも、納得いかない部分もある。
だって、鋭利な金属を歯と歯茎の間に差し込んでゴリゴリ削られたら、そりゃ痛いし、血もでるっつぅもんだ。

ゴリゴリしなきゃならないほど歯石が付着しているから仕方ない?

世の中には超音波みたいな道具で歯石を取るところもあるらしい。動画で見た。
動画では、信じられないくらいの大きさ、そして大量の歯石を超音波でゴリゴリ剥がしている。

あれは痛くないのだろうか。。。次の歯石取りの時には試してみたいと思うが、行きつけの歯科医はお爺ちゃん先生の古い歯科院なので、そんな最先端の設備は望むべくもない。

誠実さと腕を見込んで通っているのだが、次の歯石取りの時は別の病院を探してみようかと思っている今日この頃である。

ちょっとほっこり

入院中のお袋さんと電話中、周りでおしゃべりする声が入ってきた。

他の入院患者さんたちがお袋さんの周りでおしゃべりしているとのこと。

聞けば、移動が不自由なお袋さんのベッドに集まってお菓子を食べながら井戸端会議をするのが恒例となっているようだ

電話の向こうから聞こえる楽しそうな声や笑い声。電話中にもかかわらず、井戸端会議に応じるお袋さんの楽しそうな声を聞いていると、治療が終わって退院の知らせを聞くよりもホッとした感じがした。

がんセンターの病室ではあるが、良い人たちに出逢うことができたようだ。

ちょっとほっこりした

電車の急病人

その日私は難波から和歌山へ南海電鉄の特急電車に乗っていた。

車内はほぼ座席は埋まっているものの、立っている人はまばらな程度。一時間かかるので早々にイヤホンをはめて目を閉じる。

しばらく寝て、ウツラウツラしたところで周りの慌ただしい雰囲気に目を開けた。

電車は走行中、しかし、斜め向かいのシートの客が立ち上がっている。よく見ると、そのシートに座っているデブなオジサンが、火山のごとく嘔吐していた。

当然周りの客は総立ち。向かいのシートの客も固まっている。オジサンの両隣にいたネイちゃんは、一人は即座に隣車両へ歩いていき、もう一人は持っているポケットティッシュを出してオジサンに渡している。

周囲の客も、持っているポケットティッシュをどんどんオジサンに投げたり、床の嘔吐物に被せている。

そのティッシュの数も追いつかないほど絶賛嘔吐中のオジサン。ボルケーノみたいに口を抑えた両手の隙間から吐瀉物が溢れ出す。

向かいのシート客たちたけでなく、私の座っていたシート(車両の一番端)からもオタクっぽいお兄ちゃんが火山に向かう。何をするかと思えばさらにティッシュをオジサンに被せたり、床に被せたりしている。

そうなると私もいてもたってもいられない。緊急ボタンを押したろか、と思って席を立つ。火山の前を素通りし、車両の真ん中辺りの緊急ボタンを発見。しかし、ここで躊躇。電車を止めるほどか?と

そこに神の知らせのように「間もなく尾崎駅」と次の停車駅が近づいているというアナウンス。

これを聞いてボタンを押すのは止め、停車後すぐにホームの駅員を呼ぶことにした。降りてすぐに「急病人ー!!」と叫ぶと、遠くの駅員と、一番うしろの車両に乗っていた車掌が走ってやってきた。

その後、落ち着きを取り戻した吐瀉物まみれのオジサンは複数の駅員につまみ出され、汚れた車両の応急処置をして電車は駅を出発した(同じ車両の我々は隣車両に誘導、次の駅で清掃員が乗り込んできて本格清掃をしていた)。

今回のケース、どんな立ち振舞いがベストだったのだろう。

少し離れた所にいた私としては、ティッシュを供給するなどの本人への世話は隣近所の客に任せ、私は車掌に知らせるのが一番だったと思う。

ティッシュを投げつける人たちに「車掌を呼んでくる」と伝えて一番うしろの車両まで走る。ひょっとしたら、車両の何処かに通話スピーカーがあったかもしれない。

これが満員で車両の移動が厳しいときはスマホで次の駅に電話するという感じか。。

急病人が重篤な様子(意識がない、痙攣など)の場合は、緊急ボタンを押すべきなのだろうか。

今回、見るからに昼間から飲んだようなオジサンだったので、最初にみたときは「大丈夫か?」より「やれやれやっちまいやがったよ…」という感じだった。嘔吐の原因は不明だけどね。

いずれにせよ、隣合わせたり向かいのお客さんは災難だったと思う。

こう思う俺は優しくないかな?

シッソなクラシへのハードル

先日のramの投稿した「GWの過ごし方」から引きづる思いはある。

Ramの書き込みにレスしたように私の予定というかやりたいことはあまりなく、地味なスケジュールのルーティンというところに落ち着く。

そしてそれは今後も、老後も変わらないであろう。。

そこから引きづる思いと言うのは、「質素な暮らし」への憧れみたいなもの。

淡々とした日々の暮らしを、淡々と生きていく。

あ、結局、こういう生活が一番なのね。。という思い。

ただ、淡々とというわけではなく、身体を鍛え、学ぶべきことを学ぶ。
昔の武士、というか、浪人みたい?な感じ。

淡々と・・というところを拡大解釈すると、アレだ。吉良吉影みないた心境だw 激しい喜びも悲しみもいらない、植物のような穏やかな生活っていうやつだ。

そんな憧れの質素な生活に対して、私の場合、一つの大きなハードルがあると思う。それは食事だ。

今現在、合理性を優先して、ほとんどスーパーの総菜とかインスタント食品で簡単にすましてしまっている食事。

一日、一食から二食ということで、回数的には質素なイメージがあるが、その内訳が総菜やインスタント食品ばかりというのどうか。

理想的な質素な暮らしを実現するには「自炊」が必須なのではないか。

いや、自炊は食材を余らせたり、食事を作る時間ということを考えると合理性に欠けるのではないか
今や高齢者向けに弁当を配達するサービスもある。合理性とメニューの拡大という意味ではこちらの方が。。。

そんなことを考えながら無為なGWに突入した。

ちなみに私は暦通りの勤務なので今日は在宅勤務中^^;