こちらも無理やりの投稿ネタを一つ。
バイクという趣味(現実逃避)を手中に入れてから早くも7ヶ月が経過した。
思えば昨年の今頃、ミニベロという折りたたみ自転車にはまり、炎天下の大阪市内を走り回っていたことがきっかけとなり、「バイクの免許でも取ってみるか」と思うようになったのが始まりだ。
先日、通算の走行距離が7,000kmを超えた。
月あたりの走行距離は平均900km前後という感じだが、やはり暖かくなった今年の春以降は一回当りのツーリングの距離も長距離になってきたという実感がある。
以下の図面は、これまでのバイクツーリングのルートマップ。頻度が多いルートはグレーのルート色が濃くなるヒートマップだ。

特に東西南北の遠出のルートは今年の3月以降のもの。こうしてみると、「まだまだだね」という感じだ。初心者マークが外れるのは当面先のことだろう。
定年間際のこの時期、まともな大人なら老後の生活に備えるべく、バイクみたいな金がかかり、事故リスクが高い乗り物などに手を出すことはなかろう。私も深く同意する。
そんな現実逃避の自覚があるもののの、猛暑の到来を予感させるこの時期もせっせとバイクに乗っているのは、バイクの運転自身が楽しいと言う前提はあるが、”バイクに乗っている時間”が、私的にはスレタイに挙げた「瞑想」的な時間に感じて心地良いからに他ならない。
”瞑想”と表したのは、バイクに乗っていると「(運転に集中している)一つのことに集中している時間」が一定程度(少なくとも1~2時間以上)過ごせる と思っているからだ。
他のことをしている場合、スマホやパソコンからの情報に目が行くなど、集中を途切れさす邪魔モノに溢れている。
そう思うとバイクに乗っている最中は運転に集中していないと”死の危険”があるので集中はマストだ。車に乗っていた時のように音楽を聴きながらなんてこともない。音声ナビに従って目的地へ向かうのみ。バイクというマシンに乗った瞬間から、私もまたバイクを走らせるためのマシンとなる必要があるのだ。そのマシンになる境地が心地良い というべきか。。。
(さらに老後問題に対する”現実逃避”の要素も重なるのは内緒だ)
と、ここまで「バイクに乗るのは瞑想の境地」などとゴタクを述べてきたが、最近、チト風向きが変わってきた。
バイクの運転に「慣れ」てきた のだ。
この「慣れ」には光と影がある。
光の面は、運転に集中しつつも、周囲の景色に気を配る余裕がある。大都市・大阪から田舎の山間部を走るときには最高に気持ち良い。そう感じる瞬間が増えたのは運転に慣れたからだと思う。
影の部分は言わずもがな事故の危険性だ。
例えば高速道路の走行。運転に慣れないときは、生身を晒しながら高速走行することに”ちゃんと”緊張していたのだ。前方・後方・左右の状況に目をくばり、車の流れを大事にしつつ、追い越すときには一気に追い越す。これの繰り返し。高速から下道に降りるときは「よし、ちゃんと生き延びた」的な思いもあった。
ところが、だ。先日、高速道路を走行中に「あくび」が出たのだ。
これには我ながらビックリした。
前走車を追い越すことも増えた。以前なら、80km走行でゆっくり走る車を見つけたら、喜んで後ろに付いていたのに。。。
以上のような状況は「慣れ」ていることが要因だと思うし、今後は「慣れ」が「雑な運転」にならないよう自分を律する必要がある。
そんなこんなで「バイクという瞑想のお時間」を楽しみつつ、これから初めての「真夏」を迎えようとしている。
運転中に熱中症を起して事故ってお陀仏。
そうならないように注意して運転しようと思う。