ちょっとほっこり

入院中のお袋さんと電話中、周りでおしゃべりする声が入ってきた。

他の入院患者さんたちがお袋さんの周りでおしゃべりしているとのこと。

聞けば、移動が不自由なお袋さんのベッドに集まってお菓子を食べながら井戸端会議をするのが恒例となっているようだ

電話の向こうから聞こえる楽しそうな声や笑い声。電話中にもかかわらず、井戸端会議に応じるお袋さんの楽しそうな声を聞いていると、治療が終わって退院の知らせを聞くよりもホッとした感じがした。

がんセンターの病室ではあるが、良い人たちに出逢うことができたようだ。

ちょっとほっこりした

電車の急病人

その日私は難波から和歌山へ南海電鉄の特急電車に乗っていた。

車内はほぼ座席は埋まっているものの、立っている人はまばらな程度。一時間かかるので早々にイヤホンをはめて目を閉じる。

しばらく寝て、ウツラウツラしたところで周りの慌ただしい雰囲気に目を開けた。

電車は走行中、しかし、斜め向かいのシートの客が立ち上がっている。よく見ると、そのシートに座っているデブなオジサンが、火山のごとく嘔吐していた。

当然周りの客は総立ち。向かいのシートの客も固まっている。オジサンの両隣にいたネイちゃんは、一人は即座に隣車両へ歩いていき、もう一人は持っているポケットティッシュを出してオジサンに渡している。

周囲の客も、持っているポケットティッシュをどんどんオジサンに投げたり、床の嘔吐物に被せている。

そのティッシュの数も追いつかないほど絶賛嘔吐中のオジサン。ボルケーノみたいに口を抑えた両手の隙間から吐瀉物が溢れ出す。

向かいのシート客たちたけでなく、私の座っていたシート(車両の一番端)からもオタクっぽいお兄ちゃんが火山に向かう。何をするかと思えばさらにティッシュをオジサンに被せたり、床に被せたりしている。

そうなると私もいてもたってもいられない。緊急ボタンを押したろか、と思って席を立つ。火山の前を素通りし、車両の真ん中辺りの緊急ボタンを発見。しかし、ここで躊躇。電車を止めるほどか?と

そこに神の知らせのように「間もなく尾崎駅」と次の停車駅が近づいているというアナウンス。

これを聞いてボタンを押すのは止め、停車後すぐにホームの駅員を呼ぶことにした。降りてすぐに「急病人ー!!」と叫ぶと、遠くの駅員と、一番うしろの車両に乗っていた車掌が走ってやってきた。

その後、落ち着きを取り戻した吐瀉物まみれのオジサンは複数の駅員につまみ出され、汚れた車両の応急処置をして電車は駅を出発した(同じ車両の我々は隣車両に誘導、次の駅で清掃員が乗り込んできて本格清掃をしていた)。

今回のケース、どんな立ち振舞いがベストだったのだろう。

少し離れた所にいた私としては、ティッシュを供給するなどの本人への世話は隣近所の客に任せ、私は車掌に知らせるのが一番だったと思う。

ティッシュを投げつける人たちに「車掌を呼んでくる」と伝えて一番うしろの車両まで走る。ひょっとしたら、車両の何処かに通話スピーカーがあったかもしれない。

これが満員で車両の移動が厳しいときはスマホで次の駅に電話するという感じか。。

急病人が重篤な様子(意識がない、痙攣など)の場合は、緊急ボタンを押すべきなのだろうか。

今回、見るからに昼間から飲んだようなオジサンだったので、最初にみたときは「大丈夫か?」より「やれやれやっちまいやがったよ…」という感じだった。嘔吐の原因は不明だけどね。

いずれにせよ、隣合わせたり向かいのお客さんは災難だったと思う。

こう思う俺は優しくないかな?

怒涛の23連勤

ゴールデンウィークは結局ずーーっとテレワークで働いていた。慣れない会計ソフトの初期設定に翻弄し、数字や組織図が頭の中を駆け巡る。大体10月1日に施行される「インボイス制度」的確請求書ってなんやねん!。
そんなゴールデンウィークの週末、何か一つくらいお金使おうということで、焼肉へGO!久々に気持ちよく酔っ払った。3万かかったけど、美味しい焼肉を食べれて満足。家族揃って千鳥足で一駅歩いた夜がとても良い思い出になったと思う。
デュアルはどんなゴールデンウィークだった?
TVショーでは、何時間も並ぶ行列と外人。大渋滞の空港と意外に分散できてた高速道路なんか連日報道されていたね。地震は残念なニュースだったけど、イギリスの戴冠式は見応えのあるイベントだったよね。
そして、今日会社に出てきてログで俺がどれほど忙しく翻弄していたのかが周知されることになり、「いやぁー一人で全部できるんじゃないの?」と心無いセリフを吐く隣人にむかつきながら過ごす今日この頃だ(笑)。

シッソなクラシへのハードル

先日のramの投稿した「GWの過ごし方」から引きづる思いはある。

Ramの書き込みにレスしたように私の予定というかやりたいことはあまりなく、地味なスケジュールのルーティンというところに落ち着く。

そしてそれは今後も、老後も変わらないであろう。。

そこから引きづる思いと言うのは、「質素な暮らし」への憧れみたいなもの。

淡々とした日々の暮らしを、淡々と生きていく。

あ、結局、こういう生活が一番なのね。。という思い。

ただ、淡々とというわけではなく、身体を鍛え、学ぶべきことを学ぶ。
昔の武士、というか、浪人みたい?な感じ。

淡々と・・というところを拡大解釈すると、アレだ。吉良吉影みないた心境だw 激しい喜びも悲しみもいらない、植物のような穏やかな生活っていうやつだ。

そんな憧れの質素な生活に対して、私の場合、一つの大きなハードルがあると思う。それは食事だ。

今現在、合理性を優先して、ほとんどスーパーの総菜とかインスタント食品で簡単にすましてしまっている食事。

一日、一食から二食ということで、回数的には質素なイメージがあるが、その内訳が総菜やインスタント食品ばかりというのどうか。

理想的な質素な暮らしを実現するには「自炊」が必須なのではないか。

いや、自炊は食材を余らせたり、食事を作る時間ということを考えると合理性に欠けるのではないか
今や高齢者向けに弁当を配達するサービスもある。合理性とメニューの拡大という意味ではこちらの方が。。。

そんなことを考えながら無為なGWに突入した。

ちなみに私は暦通りの勤務なので今日は在宅勤務中^^;

シセイカン

九州がんセンターにおけるお袋さんの診断が始まった。

初診の日、朝から私が付きそう形で検査の予定をこなしていく。
担当医の問診では、ガンの原発部位を特定するために追加の検査をしたいことが説明された。

それと、骨転移という状態なので「治療ではなく、進行を抑える」ことが目的であることも説明があった。

自分が元気に回復しているお袋さんは、自分がそういう状態のガンであることが今一つ信じられないようだ。

とにかく、今の健康な状態を少しでも長く維持するために、今後の検査と治療を受けましょう という話で納得したようだ。

身体に負荷がかかるような治療はいらない

とはいっても、身体が不自由になっていくのを見過ごすわけにはいかないだろう ということだ。

今後、入院とか医者の説明などのイベントのときなどは、姉貴と交代で福岡に帰って付き添うことになった。GWは姉貴が帰るので私はその次に備えてコチラに留まる予定。

今回の件で認識を改めたことがある。

ちょっと前までガン家系ではないと思っていた。

でも、がんセンターの問診で、最近の母方の親族の病歴を書いていたら
母(私のおばあちゃん)甲状腺がん 90歳
父(私のおじいちゃん)老衰?   82歳
兄(私のおじちゃん) C型肝炎からの肝がん 77歳
姉(私のおばちゃん) 大腸がん 75歳

と、ほとんどガンで死亡していた。今現在、元気なおじちゃん(お袋の弟)も2名いる

私の父親もC型肝炎からの肝がんになって、その後、手術がうまくいったと思ったら 静脈瘤破裂 で亡くなった。

高齢になってのガン ということで遺伝うんぬんではないようだが、自分もガンになる心づもりは必要かなと思うようになった。

かといって、ガン保険とかは不要だと思う気持ちは変わらない。標準治療でできる範囲でよかろう。。

人間、いつか、必ず死ぬし。。。

そんな 死生観が自分の中にできつつある今日この頃である。