もうマックじゃなくてよくね?

最近、ほんとMacを取り巻く環境が目覚ましい。M1からM2,M3と恐しいCPUを開発し、とんでもないベンチマークを叩き出し・・・。

その反面、利用するアプリケーションはアップグレードやらサブスクリプションやらとにかく金がかかる。アップするたびに機能が向上するのは良いことですが、そんなにバリバリ使ってるわけでもない。とにかく給料とのバランスが悪い。インテリジェンスはハードウェアの対価なのかも知れないが、ここ近年「Macじゃなくてよくね?」と首を傾げることが増えた。
とにかく俺が音楽を作ったり、クリエイティブな活動をしていたのは遠い昔の話なのだ。今は経理やら会計やら、もっぱら「お堅いソフト」ばかり弄って、たまに、子供の頼まれごとでクリエイティブな一面を見せる程度。
ガントチャート作ったり、ツリー構造を見直したり・・・あれ、これMacじゃなくて良くね?
テレワークじゃTeamViewer使って会社のWindowsと連結し、Windowsの仕事を・・・あれ?Macじゃなくて良くね?むしろ効率落ちてね?
効率を言うならモニター2台使いたいっしょ。いまどきモニターなんざ2、3万も出せば20インチくらい買えてしまう。それなら画面が多い方が作業効率は上がる。
比較するためにテーブル広げてバタバタするより、モニター2、3台つないでさ・・・。
これをMacの最新機種で実行するとだな、数十万、どうかしたら1本立つほどお金がかかる。しかもそれほど投資したとしても来年は古くなってしまう。開発スピードは尋常じゃなく早いのだが、お金がついていかない!。


それならWindowsのさゲーミングマシンでも安価で買ってさ、、、自分でPC組んでも良いさ。んでモニター2、3台繋いだって予算はMACの十分の一でも十分足りてしまうだろ。Winなんか国産メーカとかに見栄えこだわらなきゃ〜もっと安価で・・・あれ、Macは?要らないんじゃね?そんな疑問にぶち当たる今日この頃です。

実はね、昨日iphone15に合わせた形で新OSが発表になった。その時気がついたのよ。自宅のマックは10年選手。今回のOSのアップグレード機種から外れてしまいましたとさ。追従できなくなったマシンは(/_;`)トホホなのよ。

一難去ってまた一難

入社以来というか、人生初とも言える地獄を終えた。会計ソフトc/o切り替えも終了し、まだいくつか帳票を作らなければならないが、徹夜をするほどの作業ではなくなった。全社で会計ソフトの利用が始まり、隅々まで作業フローを伝え、ジャンジャンと売上が上がってくる。いやぁ〜これで一安心だ!帰って風呂に入るぞ!
こんだけ頑張ったんだからさぞ給料も期待できるか・・・と思いきや、「できて当たり前」の評価は変わらず。世知辛い世の中でございます。
ゴールデンウイークを返上し土日も働きずめだった。気がつきゃ夏?という今。


想定外の事件が勃発した。

「妖精です。」・・・・ん?「ヨウセイです。」・・・ん?

「陽性です。」・・・(T . T)

コロナだ!クラスターだ!会社の半数がコロナで休んどるやないかい!俺先越されたやんけ!休めへんやんけ!WWW


残った連中で慣れない会計ソフトで、やれピッキングがどーした棚間移動がどうしたこーしたと、いちいちフローを書き直しながらの地獄作業。
現在、気が張ってるから頑張れてるけど、もう限界だ!爆発しそうだ。腰が痛い!寝不足で思考力が極端に落ちている。禿げる!

皿うどんの定義と調味料

最近、「大阪王将」にハマっている。
餃子の王将の暖簾分けという立場の大阪王将だが、味は大阪王将の方が好き。
が、ある出来事が納得いかず、由々しき問題に憤慨しているのであーる。

それは皿うどんには醤油派?酢派、それともソース派?という問題。

ちなみにデュアルは皿うどんに何をかける?
俺はもう有無も言わず「ソース」。そう福岡ではソースが当たり前なのだ。
ところが、全国区だと実にソースが少数派なのが判る。家で皿うどん作って食べる時、家族でソースをかけるのは俺だけ!
豪姫なんか「なにそれ?気持ち悪い。絶対食べれない」と、完全にソースを否定してくる。

お店でもそう。こないだも大阪王将で皿うどん注文し、ソースをお願いしたら断られた。なんということだ!
今までの経験上、餃子の王将は8割くらいの確率でソースを出してくれる。大阪王将はお店によっては出してくれるので半々。
日高屋は、いままで頼んで断られたことはないがは渋々ソースを出してくれる。

いやちょっとそんなに特殊なことなのかい?全国区のリンガーハットでも「皿うどんソース」という専用のソースが準備してあるってのに。

んで、ちょっと調べてみたが、皿うどんにソースをかけるのは長崎オリジナルらしいことがわかった。

なるほど、俺の両親は長崎(壱岐の島出身)だし、そもそも長崎と隣接した福岡にソース文化が飛び火しても普通なことなんだろう。
が、大阪に行くと、事態はガラッと変わる。そもそも常備で置いてある調味料は醤油とお酢とラー油のみだ。ソースなんかどこにも無い。
これは東京でも同じこと。なんどか会社の人たちと議論したことがあるけど、ソースはトンカツをはじめとする揚げ物、ステーキにかけるものという概念がある。

まぁそれは判るけど、なんでやねん。皿うどんの発祥は長崎。長崎がソースって言ってるんだからソースでええやん!

そもそも東京では皿うどんの定義が曖昧。俺は博多だし、皿うどんといったらパリパリに揚げた麺にちゃんぽんのあんかけ具材を載せたお馴染みの料理を「皿うどん」という。
リンガーハットでもそう。

でも、こっちの人で皿うどんは

「それ、皿うどんじゃなくて、かた焼そばの間違いじゃ無いの?」となる。

いやいやいやいや・・・。


念の為調べてみた。答えは明確。かた焼そばは中華料理。一方皿うどんは、長崎チャンポンがルーツ。よかった。全然違います。違いますとも!


ちなみに、かた焼そばにもソースをかける。

「え?かた焼そばにはお酢でしょ?」となる。

いやいやいやいや・・・。

百歩譲ってさ、誰がどんな調味料をかけて食べても別に気にしないし、構わない。
だが、選択肢がないってのはどうなのよ。食堂に「ソース」が無いのは何でじゃ!ということなのだ。


別に醤油でもお酢でも好きにかけたら良かろーもん。いっちょん気にせんタイ。
ばってん俺はラー油をたらりとかけ、ウスターソースをかけて食べる。これがベストたい。リンガーハットじゃ普通にそげな食べ方しよるばい。別によかろーもん。ばってんなんで中華料理屋さんで「ソースはご提供できません」ってお店側に言われなあかんとや。お金払って注文しとるのはコッチばい。そもそもソースくらい常備で置いとけっていいたいったい。

ふぅ・・・とはいえ、俺もすっかり関東人で、実はソース無くても「あ、そうなの」と普通に食べてしまうのでした(笑)。やれやれ。

P.S.大阪王将のルーツをウィキで調べ、餃子の王将の暖簾分けと判ったけど、その時の裁判で創業者の餃子の王将社長が射殺されていて、、というきな臭い記事を読んだ。儲かる仕事って命懸けなんだね。ついでにウスターソースはイギリスだそうで日本には明治はじめに入ってきたんだって。中華料理とは相性悪いのかね?WWW

健康食

デュアルのお母さんの話から、健康食の話のスレをもうちょい引き伸ばしたくて、新しく立ててみた。まぁ諸々の諸事情により、色々健康やら拘りたい年頃なのだろう。

そんなある日、何気なく、仕事のbackground_BGM代わりに、「中田敦彦のYouTube大学」を聞いていて、ハッと思った。

食べてはいけないもの(1)
食べてはいけないもの(2)

実に的を得た、まとまった話。流石芸人!話題がぶれない。ワーワー蘊蓄を述べる人はあまり好きではないのだが(笑)、まぁこのサイトならではということで良し。

概ねその通りなのだが、俺が耳を傾けた内容が2点ある。

1、安くて美味いものを食べると太る。現在のお金持ちは太っていない。

2、砂糖は今世紀最大の麻薬。

という内容だ。

2はまさにその通り。かつて砂糖は国を滅ぼす材料。砂糖は麻薬よりも激しい依存性があり危険だとキングスマン(映画)でも言っていた。なので、2は置いといて。

問題は1。安いものにはそれなりの理由があるということを切々と説明してくれるのだ。コンビニで売っているものは全て危険!とくにサラダなんか絶対に食べちゃダメ。ファーストフードが安い理由。どれも「言わずもがな」なのだが、改めて説明されると黙ってしまう。食品メーカが最も力を注ぎ、成功しているのが防腐剤。普通ならその日のうちに腐ってしまう食材も、防腐剤を付与することで恐ろしいことに長期間腐らなくなる。本来腐るものが腐らない技術。いつまでも水々しいサラダは薬品でジャブジャブに漬けて、それこそ賞味期限切れと表示されてもなお美味そう。現代の料理事情ってほんとに恐ろしい。

で、お金持ちでは無いけど、食には拘りたい年頃なのだ。

週末、家族にワーワー蘊蓄を垂れ、ランチタイムにステーキを食べに出かけた。ブロンコビリーというお店だ。ステーキなんぞ普通に3千円4千円する。家族で行けばX4なので、3千円でも会計は1万2千円超え!わーお!。
でも、蘊蓄を垂れた建前「え、え、え、え、、、遠慮しなくてよいぞ!」と、半ば遠慮気味にハンバーグのページを見てる子供たちや豪姫に強気なとこを見せる。「俺はこれ!」ドーンヒレ肉300g!4000円・・・指が震えていたのを見逃さなかったのか、豪姫が静かにランチコースの、これが食べたいと指差した。ハンバーグとステーキのランチメニュー2800円!家計簿を気遣う家族。子供たちもソレに従う(あまり判ってないふりをする)。んじゃそれでと家族全員そのランチコースを頼んだ。いや、それでもさ、奮発してるんだよ。頑張ってるんだよ(T . T)。

このお店のウリはサラダバー。サラダバー食べ放題!さぁサラダで腹一杯になろう!::

まさしく、「貧乏人が太る」を自で実践していることをひしひしと肌で感じながら、それでもステーキを食べて満足していたのですよ。

ふと、斜め前にお越しになられた老夫婦。静かに注文していたのが、俺が最初に指差したヒレ肉300gではないか!サラダは少量手をつけ、お肉を食べるが、半分くらいで満腹になったみたいで「残して」帰ってしまった。

うーん、ランチを楽しむ雰囲気では無かったが、お金持ちなのは所作でも判るし、色々判るWWWやられた!あれがリッチな食文化なのか!残すのはダメだけど、あーいうスマートな食事がしたかったんだよ。俺は!

子供たちはまーだサラダバーのおかわりしてる。・・・やれやれだ!

3年ぶりの新年会は闇への入り口

俺には毎年一度は必ず飲みにいく(いってた)友人がいる。かつての職場の同僚で、社長の従兄弟という鳴物入りの肩書きで入社してきたSEだ。
俺より2歳年下で数学博士でめちゃくちゃ頭が良い。身長190とでかい、アメフト体育会系で毎日筋トレを欠かさず、牛乳1リットル腰に手を当てて一気飲みする健康優良児だ。
彼はかつて嫁が癌で他界し、その経緯を巡り人間不信に威陥った。(現在は再婚し、再婚相手との間にも男の子が産まれ、今度小学校一年生なのだそうだ。)
彼は、精神的に病んでいるとき話を聞いてくれる同僚は多数いたが、親身に相談に乗ってくれる友人は俺しかおらず、その他大勢の上辺だけの愛想付き合いの同僚に嫌悪感を覚え、会社を辞めてしまった奴だ。俺しか信用できる友人は居なかったそうで、その頃から年一で飲むようになった。かれこれ30年の付き合いだ。
親身に話を聞いたというか、それは当たり前のことで、そりゃ嫁さんが病んでるときに精神的に追い込むようなことは言わない。その辺りの配慮がかつての同僚には無かった。俺にはあった。それだけのことの様子だ。

慕ってくれる同僚と毎年年末は盛大に家族ぐるみで飲み会をし、彼は我が家で一泊し、朝牛乳1リットル飲むのを家族で眺め「おーう」とため息をついたものだが、コロナ以降直接交流も途絶え、今年実に3年ぶりに二人で新年会を行った。
三年。短くも長くもある。例えるならば我が家の一真は中学三年間全てのイベントが吹っ飛んで、修学旅行もなく、散々な中学校生活を終え、今は高校生になったという、そんなコロナ青春三年間話。

わずか三年の間に何があったのかわからないが、そいつは別人のようだった。角刈りはよしとしても黒髪が白髪頭になり、頬はやつれ、まるでガンジーのようだ。それでもガタイはデカいので、十分威圧感はあるのだが、かつての覇気が無い。
北千住で飲み会を行ったが、一真の話を笑い話で挟む余裕もないほど、彼には様々なメンタルを潰す出来事が押し寄せた様子で、ここには書けないが、家族間、親戚間で落ち込み、並んだ挙句、白髪頭になったのだ。
彼は別れ際、涙を流し「RAMちゃん変わってなくて良かった。嬉しい。ほんと出会えたことが嬉しい」と泣きながら笑って、また近いうちに会おうと帰っていった。

俺は泣き崩れるかつての同僚と抱き合い、それでも同調して泣くことが出来ず、「相談事があったら言ってくれよ。」と、歯の浮くようなセリフを伝え、あまりの激変ぶりにただただボーゼンとするだけだった。
帰りの電車でも悶々とし、「困った人を目の前に「相談事があるなら言ってくれ」なんてよく言うよな。」と、ふと、自分に降りかかる。これじゃ彼が嫌悪したという、かつての同僚と同じじゃんか。

いやいや俺にしてみても、ここ3年でいろんなことがあった。特に先日、デュアルとのリモートでもゆきちゃんの衝撃的な話をしたばかりだが、ある意味、想像を絶するような体験をしてきたではないか。
それでも俺は笑顔で生活できているのはなぜ。なぜなんだろう。家族との関わりはそれほど俺の心にゆとりをもたらしているのだろうか。この「新年会」という二人だけの地獄のイベントは暗黒面を覗かせてくれた。

ここ数年コロナの最中、ほんとロクなことがない。例えるなら細い細い人生の一本橋を綱渡りし、さらに先行きが解らなくなった蜘蛛の糸ほどに細くなってしまったコロナの道を突き進む。並行して進んでいる同僚や仲間が次々とバランスを崩し、奈落の底に落ちていく。一度転落したら止めどもなく落ち続ける・・・そんな感覚だろうか。

そして今日、俺は会社に出社している。

実に2週間ぶり。もちろんテレワークで働いていたが、特に今日出社する必要は無かった。テレワークの方が効率よく作業が捗るのだが、単に社会との関わりが2週間途絶えると、感覚的に「このままずっとテレワークで過ごせないだろうか」という恐怖感に苛まれ、会社に出てきたというわけだ。
会社にくると、いつも通りの空気が流れていた。天気も良く、会社に出てくることで社会とのつながりを取り戻した感もあり、精神的には落ち着いている。

世の中は想像を絶する不況の波と不幸の波が押し寄せており、一歩足を踏み入れるとそこはもう奈落の底だということがよくわかった。
テレビでウクライナ中継をおかずに、中国の排他的なマスゲームを摘みに飯を食べている場合ではなかったというオチだWWW。