そう。デュアルに4年生祝いまとめを頂いたのは去年の4月頃。ご推察どおりの状況。一真は「いじめっ子」ではなく、どちらかといえば「いじめられっ子」なのも変わらず。子供のサッカーの状況が変わったのも4月から。ちょいと分析してみた。
その1)コーチが代わった。
これは大きな変化だった。今までYコーチが低学年、高学年と面倒を観てくれていた。このコーチはもとサッカー選手で、学生時代、名門学校でチーム内で競争するサッカーを経験し、サッカーが楽しく思えなかった過去の思いもあり、ボランティアでコーチをしてくれていた。なので方針は「小学生らしく、みんな仲良く、全員で頑張ろう。」という方針で、脱落者もなく、みな和気藹々と、楽しいサッカーだった。まぁ低学年なんてホントのどかなサッカーで、皆ボールにワーッと群がるだけ(笑)。コーチには一真もとても良くして頂いていた。
4年生になり、Sコーチが4年生を担当する事になった。このSコーチの方針は「勝ちに行くサッカー」。出来ないメンバーは容赦なく切り捨てる狂犬で有名。
まぁ必然的にYコーチとは方針が合わず(Yコーチは小学生らしい楽しいサッカーを教えたい。Sコーチは勝てる試合をしたい。)、結果、Yコーチはサッカーコーチを辞めてしまう事になった。
Sコーチは勝ちに行くサッカーをするので、これまでと試合運びも一転。信じられない程成長を遂げ、今までお遊戯だったサッカーが、ゴールもバンバン決まる「勝てるチーム」に生まれ変わった。
親御さんは喜ぶ半面、試合に出させて貰えない子供も増え、不満もあるが、やはり自分の子供が出なくても試合に勝てると嬉しい。要は息子が真剣にサッカーに取り組めるかが決め手となってくる。選抜メンバーにならないと、練習メニューも異なる事から同メンバーの中で壮絶な争いが始まった。
その2)明確な実力差が出てきた。
サッカーが上手な子供と、サッカー運動音痴の子供とが明確な差が出てきた。4年生にもなると、しっかりポジションを持ち、隙あらばゴールを狙え!と檄が飛ぶ。普段から遊びにもサッカーを取り入れている負けん気の強い子供達は、相手の位置関係も把握し、しっかりとボールを捉え、パスを回せる年齢だ。が、運動音痴の子供達はそんな動向には付いていけず、明確な差を埋めることもできず、隅っこで自主練習をしてろ!ってなる。
その3)自閉症の子供K君の存在。
自閉症の子供K君。母子家庭で、母親は最初に「この子は自閉症なので!」と宣言している。
まぁ自閉症と言っても色々あるが、この子の場合、他人と接触する事が苦手で、喧嘩をふっかけることで注意を促すというタチの悪いタイプの自閉症で、まぁ周囲も先に判っていた事なので、叩かれたり、殴られたりしても穏便に納めていた。この子は手当たり次第喧嘩をふっかけていたのだが、3年生になると、周囲の反発から孤立していたK君。その頃、ターゲットを一人に絞り込んだ。その相手が一真だ。
それから、一真はいつもK君に喧嘩をふっかけられ、喧嘩をするという構図が出来上がった。これがバツの悪い事に、普段は仲良しで、いつも一緒に居て、突然喧嘩をふっかけられ、二人を引き離してもまた一緒にくっついているという・・・先に書いた水筒を振り回した事件もこのK君にしつこく攻撃された挙げ句、一真が水筒を振り回したら、K君の頭に当たったというものだ。
周囲の親御さんも様子を観ていたので一真は悪くないとはなったが、小学生は喧嘩両成敗が一般的。どっちも試合に出させて貰えなくなってきた。他の親御さんは、ターゲットが一真に集中し、自分の子供では無くなったので、ホッとしている面もあるのかも知れないが、必要以上に一真は目立ってしまってる。
とまぁ、客観的な・・・いや、親から「ひいき目」に観るとこんな感じの分析だ。一真はこのような周囲の変化に付いていけず、翻弄され、自暴自棄になっているのだろう。一真は、辞めてしまったコーチの「みんなで楽しく和気藹々と」が好きだったから、今の「勝ちに行く」コーチの方針と趣旨が合っていないのだ。
まぁサッカーはお遊戯ではないのだから、勝たなきゃ意味も無いのも判る。前に書いたと思うが、4年生から対流試合も増え、他校と競い合うスタイルへ代わっていく。
だが、「小学校」で生徒同士で実力差が出てきたとき、「駄目な子供とも協力し、助け合う。」姿勢ではなく「駄目な子供は切り捨てる。」となると・・・俺の息子の様に「出来ない子供」を持った親御さん達は、ただため息をつき、やりきれない「想い」で子供達を観るしかないのが現状だ。これが本来のサッカーなんだろう。名門サッカーチームはこういったジレンマの中、抜きんでた子供を育成する訳だし、仲良し倶楽部だった低学年のサッカーが切り替わるのも、まぁ、小学生からそんなに??小学生なら和気藹々で良いじゃん・・・とかも想うけど、、、。
一真は、それでもサッカーが好きだと言って練習に打ち込む姿は立派だし、小学校6年まで辞めないという強い意志も賛美に値すると思う・・・が、現実はチームの中で「サッカー出来ない子」となってしまい、急な変化に付いていけなかった息子は、ボールに積極的に関わらなくなり(走らない)、ベンチに入れられると興味を持てずに寝てしまうなどの行為を繰り返し、コーチの目には「出来ない子」から「問題児」へと発展している要因なのだろうと推察する。Sコーチは自閉症の子供の事を4年生から知った訳だし、一真との小競り合いを観て愕然としたのだろう。片方は病気と宣言しているので、一真に問題意識が集中してしまっているのも判る。
更に俺は、少年サッカー会長役を担当している。正式には「少年サッカー育成会」の会長だ。会長としては広く子供のサッカー人口を増やす事に力を入れたい。「サッカーは楽しいよ」「まずは見学に来てネ」と呼びかける・・・真逆だ。
まぁ〜恐らく俺はSコーチとにとって、とてもやりずらい親なのだ。一真はその狭間に居る子供なのだ。
子供がそんな感じだと、親の責任が問われるのも判る。俺は基本、子供の意志を尊重し、自由にしたいのだが、その結果、団体行動に支障をきたすと問われれば、「一真君の親は(俺)なんだもんねーーーこれ以上は言えません」と、変な感じになってしまい、顕著に親御さん達の俺に対する態度も変わって感じるようになった。
もう一人、俺達と同じ歳のBコーチと遠征で車が一緒になり、「(俺)が子供に叱りすぎるのではないか?」と疑いをかけてくる始末。
(このBコーチは職業が警察官(警視庁に勤める役員)でボランティアでサッカーコーチを引き受けてくれている)
俺は、口で言っても判らないなら叩く。それがBコーチの「子供は叩かない」という方針とぶつかってるらしい。いや、口で言って判らない子供はぶっ叩くだろ(笑)・・・現代では通用しない。警察的には俺も要注意人物だ。
ヤレヤレなのだよホント・・・。
なるほどね。Ramの分析はそのとおりなのだろう。誰が悪いという話でもなく、コーチの変化、チームの変化、友達の変化、そして自分の変化にどうしようもなく、戸惑っているといったところか。。
この話とはレベルも時代も違うが、お袋さんから聞いた話を思い出した。俺の子供時代の話。町内の子供たちでソフトボールの試合をする催しが年に一回ほどあって、それを取り仕切る保護者の当番がお袋さんに回ってきたことがあったらしい(お袋さんだけではなく複数の保護者で仕切る)。そのときに問題になったのが「勝てる子供を選ばなかった」こと。
当番になったお袋さん達はチームに参加した子供たち全員に出場する機会を与える方針で試合に臨み、負けている展開でも出番が終わった実力者を引っ込め、控えの子供をグランドに送り出していた。結果、試合には負けたが、出場機会をもらった子供の親御さん、特に引っ越してきたばかりで友達が少なかったらしい子供の親御さんからは感謝されたそうだ。
ところが引っ込められた実力者の親御さん達からは「何で変えたんだ。試合に負けたのはあの采配のせいだ」と陰口をたたかれたていたことを後で知ったそうだ。直接言われなかったので放っておいたそうだが。。ちなみに、当時オイラがどっちの立ち位置かというと間違いなく「下手な子」だったと思う(笑)
子供に成功体験を与えたいと思う親やコーチの気持ちは一緒のはず。それは努力して試合に勝つことが一番わかりやすいが、成功体験は試合に勝つことだけではなく、努力の過程の中に数多の成功体験があることも皆わかっているはず。。。。難しいのう
まぁ、一真くんは練習に参加するんだったら、眠らないようにしないとね(笑)俺は安眠枕を送ったおぼえは無い(笑)練習で一回のトラップがうまく出来たってのも成功体験だし、ベンチから仲間を観察して、それぞれの良いところ、悪いところを的確に分析できるというのも成功体験だ。何でもいいからそういう楽しみを見つけてほしいものだ。
あぁ、いつものように言いたいことが発散してきた(笑)。親になった経験の無いオイラはこの辺で消えるよ^^:
ramの信じるままに!
いや、そんな事無いよ。デュアルの意見は客観視した親友の意見として大変貴重だWWW。
デュアルが「子育て」したこと無いのと同じく、俺も子育ては初めてだ。おんなじ。ましてや、俺の年代だと、「既に子育てが終わっている、若しくは大学生卒業」とかそんな感じで、相談相手も居ないのが実状なのだよ。ほんと。
まぁ〜デュアルの話にもある通り、スポーツってのは最終的には勝つか負けるかであるのは確かで、GLOBALな意味で、楽しむとか、参加する事に意味があるとか、そういうのは、真剣にスポーツに打ち込む中で見いだして行くものなのだろう。実際、落ちこぼれに目を配る綺麗事より、勝つ為にどうすれば良いのか考える方が子供達にも良いような気がする。
んじゃ、落ちこぼれは何をするか・・・そりゃ歯を食いしばって、レギュラーになれる為に「努力」しないと駄目・・・とまぁ気持では判っていても、自分の子供が落ちこぼれに属したとき、「ガンバレ!負けるな!」って無理矢理運動場に連れて行って特訓したところで、本人の気持ちが付いてきてなきゃ意味も無い。変に親の期待を乗っけられると、実力が伴わない子供は「やさぐれる」しか感情を表現する手段が無いのかも知れない。
・・・話変わるけどさ、俺さ、「子供の居る親」って嫌いだったんよ。だってさ、子供の居る親って二言目には子供の話が始まるじゃん。しらねーっつー話だWWW。しまいにゃ年賀状まで子供の報告ときたもんだ。
それが、今、まさに俺が、そんな感じになってるWWW。気が付きゃ子供の話をしている。
これ、どうなのよ(笑)デュアルにだから話せる事で、俺は何の忌憚も無く「子供の話」を書いたりしてるけどさ、迷惑じゃない???????むしろそっちの方が気になるよWWWWまぁデュアルの事だから、どんな話でも前向きに読んでくれるし、それこそ忌憚の無い意見もくれる。んだけどね。俺は感謝しっぱなし。
ついで、先の話の最後にチラっと書いた「暴力」についても意見が聞きたい。
俺にとっては「愛の鞭」。スクールウォーズじゃないけどさ、口で言って判らない子供は「餓鬼」だと想うし、2回3回と注意しても判らない子供は、例えば子供のお友達でも同罪!鉄拳制裁。子供はそうやって善悪の区別を付けるし、お父さんは「怖い人」「融通が利かない」「理不尽な大人」で良いと想っている。泣こうが叫こうが、聞き分けの悪い子供はゲンコツだ。今もそう。一真や悠時はそうやってお父さんと接している。
でもさ、世間一般的にはもうそんなお父さんは「古い」化石の様な存在で、子供に手をあげるなんて言語道断。下手すれば犯罪者扱い。子供と友達になろうとかいう話とか聞かされる。・・・俺、まじで耐えられないんだけどさ。
だってさ、俺は俺、子供は子供でしょ。子供がぐれたら、判るまで言い聞かせる・・・アホかと馬鹿かと。想う派なんですよ。子供がぐれる=ウチにそんな子要らない。って外に出したら犯罪???。
どーも極端すぎるんだよね。叩く=暴力って短絡的すぎでしょ。ものには「程度」とか「加減」ってもんがあるでしょ〜・・・もーね、俺、子育て向いてないかも(笑)
子供の話題といってもramのジュニア達とは一緒にジブリや巨人兵を見た仲だ。他とは違う。それに子供の話題に辟易するほど私の周囲に子供の話題は溢れていないから大丈夫。むしろ新鮮な話題のジャンルの一つと言えるよ。心配ご無用。
それと鉄拳制裁についてはオイラも必要派だ。Ram家で印象的だったのは巨人兵の展示会場だったと思うけど、行列に並んでいる最中にジュニア(弟)が動き回ろうとした時があって、ramが「静かにしなさい」と抑えた口調で注意した。二度目の注意の後、再び動き回ろうとしたジュニア(弟)に対してramは無言で頭を捕まえて引き倒した。びっくりしたジュニア(弟)はすぐに大泣き状態になったが、すかさず豪姫が頭をすりすりしつつも「今のはジュニアが悪い!」と言っていた。その後のジュニアの様子を見ても、ramを怖がる様子もなく普通にまとわりついていたし、ramも受け入れていた。私の子供頃を思い出すような親子関係だった。
暴力一般を否定するのは簡単だけど、安易とも思う。Ramの言うように言葉だけで解ること、伝わることだけではない。例えば「動きまわるな。じっとしてなさい」と注意されるケース。親は他人への迷惑はもとより、道路とかだったら事故の心配、怪我の心配を見越して注意しているのだが、子供にしてみたら「大丈夫」という気持ちしかない。親と子供で「見解の相違」が発生している状態だ。ここで言葉を交わすだけでは平行線というのも知識と経験の差がある親子ではやむを得ないこと。ならば、子供を扶養している義務と責任を持って親はどうどうと自分の意見を押し通し、その場の収束を図るべきだと思う。なぜなら、親の見解では「今のままでは子供に危険、あるいは不利益が生じる」と判断しているからだ。そして、親はその判断を下すことに自信を持っていなければならない。ここは親もつらいところ。自分の判断に自問自答することもあるだろうに、子供の前では例え嫌われても「我は正しい」と示さなければならないと思う。
昨今、子供に対する暴力がニュースになるのは、理不尽な暴力、一方的な暴力、度を超した暴力が幼い子供に向けられて死に至るケースが多いからだと思う。そんなのと一緒にしてはいけないよね(笑)