いきなりのタイトルで申し訳ない。
哲学的な、中二病的な言葉しか出てこなかった。
Ramのお姉さんの話は衝撃だった。
そして、非常に考えさせられた。
親子なのに、同性なのに、お互い良い年齢を重ねたのに・・。
それでも、他人には、兄弟姉妹でも、立ち入れない、どうしようもない人間関係が発生する。
うちの姉貴のことも含めて、改めて思い知らされた。
そして、Ramの「最後は親子だったよ」に救いも感じた。
ありがとう。
たとえ、親兄弟であっても、「変えられないもの」の方がほとんどだ。
ホント、そうだ。
でもね、改めて思うのは、こじれた人間関係っていうのも、しょせん「その人の主観の世界」ではないか? ということ。
それは「その人次第」で主観を変えることができるし、それは「世界を変えることができる」と同義だと思うのよね。
人間、何かに「執着する」と「不自由になる」、ってのは一定の真理だ。
カネに執着する人、モノに執着する人、ヒトに執着する人、みんな「不自由」だ。
このことに共感できるなら、「あのヒト(母親)が嫌い」っていうのは、不自由な生き方だとわかってくれるのではないかと思うのよね~。
同居せざるをえない「現実」を受け入れ、その現実の中で「自由に生きる」にはどうしたらいいか。。。
「相手が嫌い」とかいうネガティブな人間関係に「執着」することを止めるのが、第一歩だと思うのよ。。。
だって、もういい歳でしょ?オトナでしょ?どーせ、みんなもうすぐ死ぬでしょ?
なにを母親相手に「執着」しちゃってんの?って感じ。
レット・イット・ビー、さんざん聞いた世代でしょ?
ケセラセラ、知ってるでしょ?
と、姉貴には言いたくなる。うん。
「最後は親子だったよ」
この言葉に望みを託し、弟として立ち振る舞うことにするよ。
追伸
来年の2月に同窓会するかもって連絡来た
企画中とのこと。
Ramのところにも来た?
Ramはどうするの?

僕の姉貴の姉弟関係は、いつも僕の方が「話を聞く態度」に気を使っている。
姉貴は僕の話を最後まで聞こうともしない。最初から弟>低い立場として見下して話を進めようとする。まぁ本人はそんな気はないのかも知れないが、姉貴に会話のマウントを取らせないと、そもそも会話が進まない。これはね、もうどうしようもないWWW。だから、僕は悟られないように気を使いながら姉貴に会話のマウントをとらせるようにしている。それが円滑なコミュニケーションという奴だ。
デュアルの姉貴も少なからずそうかもしれない。子供のころから弟として(しか)見ていない相手が、突然「正論」をぶちかます。そんな時、姉貴はよほどのことがない限り一歩もひいてくれることもない。最初から話を最後まで聞く気なんかないわけだし、そりゃもう対等な立場よ思うなよ弟!ってなもんだ。超メンドクサイでしょ。まぁ~そうならないように、弟は三浦後ろから俯瞰で物事を判断し、盤を動かす。それで万事上手くいく。
まーね、そもそも人の話を聞くとき、相手の話を聞き入れることから始まるよね。その上で、必用なら同調も含め、自分の意見を求められれば付け加える。そんなchatGPTのような「否定しない」会話方法を自ずと学んでいくもんだ、そりゃ姉貴だって判っているだろうし、偶にはそういった大人の対応をする事もあるだろうが、その本質が家族とか姉弟とかだと本音が出やすい。
しかも女同士になると、そりゃもうバチバチなわけさ。
でも、それが「個性」なのだろうさ。何でもかんでも「ハイハイ」と聞き入れるのもちょっと事情が違う気もする。親子だからこそ「自分を判ってほしい」という想いは強いのかもしれないし。それはデュアルが思い悩む平和な親子関係とは異なるのかも知れないけどね。まぁそんなもんだよ。デュアル君には、そんな話題が出たら、遠い目をしてレット・イット・ビーを口ずさんでみることをお勧めする。ひょっとしたら判ってくれるかもよWWW。
同窓会第一回会合は足が折れて入院してるときだったなぁ~。そんな訳で会合に誘われたけど一度も参加できてない。フットワークも軽くないし、文字通り足折れてるしWWW。
今既に、3,4回集まって色々決めてる最中っぽいよ。発起人は由利、河原畑、岩ちゃん辺りが中心で、ぶきっちょかたぐぜんで飲みながら色々決めてるんだって。次回の話し合いは前回発起人だったメルルチームも加わるんだってさ。へむらも来るってよ。
二月に同窓会って話は知らなかった。そこまで話進んだんだねぇ~。