無関心な自分に気づいたとさ

今回の帰省での出来事。

土曜の夜、高校の友人と天神で飲んだあと(ぶきっちょやたぐせんには行けず)、駅に向かっている途中、飲み屋街から少し離れた裏路地で、白髭のおっちゃんが壁にもたれて座り込んでいた。オイラはその横を何も思わずにスルーしたところ、後続のサラリーマン二人組がそのおっちゃんに「大丈夫?」って、声をかけていた。

「あっ!」って思ったね。俺って典型的な“無関心・関わらない人間”になってる?ってね。その若いサラリーマン達とおっちゃんに悪いことしたなという思いがフツフツと湧いてきた。

大阪だったら見慣れた光景である路上で寝たおっちゃん達。でもよくよく考えてみたら、熱中症など本当に体調不良で倒れている可能性もある。。。難しいな。

でも、基本的にそういうことには無関心な人間だな。。と自覚した夜だった。

ちなみにその後どうなったかはわからない。聞こえなかったけど、おっちゃんはサラリーマンたちと会話ができていた?ような感じだった。

 

“無関心な自分に気づいたとさ” への2件の返信

  1. 無関心かぁ・・・耳が痛いな。
    でもさ、そもそも無関心って主観だよね。

    今回のデュアルの一例もそうだけど、我々は都心で学んだ経験則に基づいて行動している。

    白髭のおっちゃんが
    壁にもたれて座り込んでいた・・・声を掛ける? この疑問に詭弁で答えていく。

    壁にもたれて座り込んでいた・・・
    もし声を掛ける場合、助けた後の伏線が待ち構えている。

    良い場合。
    大丈夫ですよ。ありがとう。と感謝される。
    これがレベル1だとしよう。
    声を掛けたことにより、何かしら色々好転的に物事を感じることができ、あぁ良い事をしたんだなと思う瞬間がある。

    レベル2。
    いや実は足が痛くて、お腹が痛くて・・・ → 救急車の手配など二次的な助けを必要とする。
    まぁこれも感謝される。二次的に「助け」が必要かもしれないのは、声を掛けた段階で想定済みなので、相手が高圧的では無いなら悪い気もしないだろう。
    場合によっては、関係親族に引き渡すまで面倒を見ることにもなりかねない。でもまぁ良い事をしたんだなと思う反面、めんどくさいことに巻き込まれたとも思うだろう。

    さて、感謝される、もしくは自己満足を得られるのはレベル2までだろう。

    レベル3
    側に寄って見ると何か喋ってる。「コロス」「コロス」と独り言を言っているサイコパスだったWWWW。声をかけたことに後悔する。

    レベル4
    声を掛けた途端リバース!服が台無しになることもあるだろう。

    レベル5あたりから、危険な話だと思う。
    大丈夫と声を掛けたら、逆に「大丈夫で悪いのか!」と絡まれる。

    レベル6
    声を掛けた相手に巧みに絡まれ、現金を失う。

    レベル7、レベル8、もうレベル10辺りになると新聞沙汰。振り向きざま包丁で刺して逃走!

    まぁ想像してるだけなので笑える話だが、大事なことは、我々は経験則でこれらのオチを学んでいるという事だ。
    都会に住んでいて、声を掛けて「良かった」と思えることより、「やめとけば良かった」と後悔することの方が多い。

    我々は人生折り返したんだし、悲しいかな体力も想像以上に無い。
    うんちくを語る側の小生としてはですなぁ〜そんな無責任とかいう「お節介」は若い世代に任せて、我々は「最近の若いもんは人助けをしない」とボヤいていれば世間的には平和というオチですな^^。

    1. >我々は都心で学んだ経験則に基づいて行動している
      確かにね。。大阪の飲み屋街で横になっている人たちに声をかけていたらキリがないと思う(笑)結局、ケースバイケースかな~。そのときのシチュエーション、状況判断、こちらの事情などなど加味した上で、どうするかってことだね。3部ジョジョの最後で、承太郎がDIOに言ったように「後味のよくないものを残すぜ」って思ったら声をかけるし、そうでなかったら「LET IT BE」なすがままに、で成り行きに任せる、若い世代に任せる というスタンスでいきますかね。

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