e-TAXをやってみた

ちょっと前になるけど、初めてマイナンバーカードを使ってe-TAX(オンライン確定申告)をやってみた。やってみるとなかなか簡単で後戻りはできない感じだ。

ふるさと納税と少しばかりの寄付の関係で、ここ10年くらい確定申告をしているのだが、地味に手間な作業が発生する。
・書類作成(PDF入力ファイルと印刷)
・源泉徴収票や領収証などの関係書類の添付
・郵送手続き

郵送手続きについては、昔、切手代が不足していたことがあって、わざわざ100円もしない不足分を支払いに電車を使って税務署まで行ったことがある。郵送手続きにも気を使うのである。

e-TAXではどこが違うのか。
まず、作成した書類を印刷する必要がないこと。普段、年賀状作成くらいにしか使わないプリンタが、確定申告作成時にトラブルを発生させる可能性はゼロではない。そうなったら悲惨。インクカートリッジの交換か、プリンタ本体を買いなおすはめになる。
次に、関係書類の添付が不要。このことを最初に知った時は、なぜ不要なのかわからなかった。しかし、会社やNPO、自治体の財務情報は税務署が管理できていることを考えればそういうこともあるのかなと思う。ちなみに、添付して提出する必要はないが、5年間の保管は義務となっている。
最後、当たり前だが郵送手続きが不要。封筒や切手の費用がなくなる。

実際には、マイナンバーカード使用時に必要となるパスワードを記した書類の保管場所を忘れるなどのトラブルはあったが、全ての作業が1時間以内に終了した。

ramはマイナンバーカードを作ったっけ?。今すぐ必要とは思はないけど、すでにマイナンバーカードは健康保険証や免許証との紐づけが決まっている。株式口座を持つときにも必要になっている。暇なときに作成しておいても損はしないと思うよ。

車の運転マナーで気になること

まんまのタイトルだが、コロナ禍の特別措置として車通勤をする中、運転マナーで一番気になったことを書きたい。それは「ウインカーを出さずに車線変更をする車」のこと。

車通勤をする前の私と言えば、運転する機会自体が少なく、年間走行距離が2,000キロもいかないようなドライバーだ。なので、他のドライバーの運転マナーについてあまり意識することはなかった。

しかし、毎日高速道路を使って、車通勤を繰り返す中、運転マナーの良し悪しも気になることも多く、その中で最も気なったのが(結構、後続車が近い距離にいるにもかかわらず)「ウインカーを出さずに車線変更をする車」が目につくこと、なのです。

何かカッコ悪いイメージなんだよね。品に欠けるというか。
そりゃ、私も車線が途切れる交差点内なら、近くに後続車両がない場合に、ウインカー出さずにスーッと進路を変えることはよくあるよ。でも、近くに後続車がいるのに、わかっているのに、車線もあるのに(場合によっては黄色車線でも)ウインカーを出さずに車線変更ってどうなの?て思う。

ただ、この私の印象は普段車に乗り慣れていない(日常的に乗っていなかった)ドライバー目線、言うならば教習場で教わったことを真面目に守ろうとする初心者的な目線かも知れん。

ウインカーなしの車線変更で事故ったなんて話は聞いたことはないが、個人的には美しくない運転に思える。

いきだねぇ

『「いき」だねぇ』、という日本語。
この言葉をアカデミックに考察して日本人の思想、美意識を研究した人がいる。

九鬼周造さん(1888~1941)が著した『「いき」の構造』に興味をもって読もうと思ったけど、Amazonのレビューをみて難解そうなので断念。
かわりに、この本を解説した形の本”『「いき」の構造』を読む”(安田武・多田道太郎)を読んでいる。

それによると、「いき」という言葉が日本で使われ始めたのは「火事と喧嘩は江戸の華」と言われていた江戸時代の江戸。新陳代謝の激しい時代の俗世で生まれた美意識だという(自分でも何を書いているかわかっていない)。

「いき」の反対の意味の言葉は何か?それは「野暮」。今でも野暮用とかいうよね。

『「いき」だねぇ』と言われることもあれば、『それは「野暮」ってもんだよ』ってな感じ。

まとめ
腕時計の電池交換を自分でできるようになったram
 → 『「いき」だねぇ』
ソーラー発電の電波時計にするといいよというDUAL
 → 『「野暮」だねぇ』

これが言いたかった。

あれから10年ですか

あれから10年ですか。

3月11日。10年前のその日は職場で地震を感じたっけ。まさに船酔いのような長期周期の揺れ。職場のテレビをつけて、その震源地が福島県沖とか、マグニチュード8(速報)と聞いたときはビックリ仰天したっけ。その後の津波の映像にも。ま、さらにメルトダウンまで経験することになったけどね。

今、人類史に残るようなパンデミックを経験しているけど、東日本大震災も間違いなく、人類史に残る、映像の記録が残った自然災害だ。

今現在、復興がどの程度進んだかはわからんけど、このパンデミックもこうして思い返す日がくるのはわかっている。

なので、とりあえず、今日も頑張っていきますか、ね。

脳みそは間違える

最近、脳みその話が面白い。脳みその話というのは脳科学の知識をわかりやすく解説している本だ。結構な種類が出てる。
そんな中、普段の暮らしの中で感じる緊張や不安というのは脳が起こしているバグだというお話。これがやたらと腑に落ちて面白いと思った。


人間の脳は、生存するための選択を常にしている。そのため、生存の危機になるような現象・事象に遭遇したとき、その現象・事象を避けるように機能する。
脳内物質の放出による緊張や不安、あるいは「これはキケンだ」と認識し今後回避できるように記憶への刷り込み、注意喚起を行っている。
それは人類が誕生した当初に形成された脳みその機能だ。
人類が誕生した当初、原始の時代の生存の危機といえば、猛獣に遭遇した時、あるいは集団生活していたその集団からはぐれたとき、人は自らの生命の危機と認識していた。


現代生活で緊張や不安に感じるシチュエーションはどうか。例えば、怖い人にあった時の緊張、所属する集団、社会から孤立することへ不安。こういった状況はだれしも経験がある。
これらの緊張、不安というのは自分の生存の危機を感じ取った脳が、昔ながらに培った機能を発動させているというわけだ。


だけど、原始の世界ならいざ知らず、現代社会においてこれらが生存の危機か?そんなことはない。これは脳が過剰反応しているだけ。つまり脳が起こしたバグなのだ。

悪い思い出が記憶に残りやすいこともそう。悪いこと、今後避けたい、脳が記憶の刷り込みを行う、忘れられない。いやいや、別に忘れても生命の危機にはならないから、悪いことに注目して憂鬱になるのはやめようよ。


自分が思っていること、感じていることがすべて事実と思ったら大間違い。あくまで脳が関与していることを前提すれば、「オイオイ、そこまで反応する必要ないだろう」的なことが実に多いことに気づかされる。

脳は間違える。
この前提を踏まえると、見える世界も違ってくるのでは、とも思ったよ。