誕生日おめでとうございます。
お祝いと言っては何ですが、最近お気に入りのこの曲を送ります。
「野良猫は宇宙を目指した」(by しゃろう)
タイトルと画像が秀逸^^
RAMとDUALの他愛のない詭弁
今週、お盆の時期をずらして福岡に帰省してきた。
そこで個人的にはあまりにも無知だったというか、浦島太郎的な感想を持ったのが福岡の高速道路網だった。そのお話。
その日はお袋さんの運転手として久留米・佐賀の親戚にあいさつ回り。(コロナ対策万全、玄関先のあいさつとお中元みたいなものを渡すだけ)
車のルートとしては、最寄りの「大宰府IC」から「鳥栖IC」あたりまで高速、その後は下道というパターン。
その帰り。「大宰府IC」に向かっていると、「都市高速」への分岐の案内があるのを見つけて、一人ビックリ仰天した。
「あ、ここから都市高速とつながっているのか!?」
何を今さらと言われそうだが、私の中では九州自動車道の「大宰府IC」の北側は「福岡IC」に繋がっているというところで止まっていたのだ。 改めて現状確認。
時間もあったので、「都市高速」にハンドルを切って昔懐かしい場所を目指すことに。
「百道」で高速を降り、西南大学や修猷館高校の脇を抜け、西新の街中へ。”フクハラ洋服店”の前を通って高取小学校へ。
ついでだと思って高取中学校にも寄ってきた。
その後、高取の街を流して再び百道から都市高速に乗って大野城まで帰った。
大野城と高取がこんなに近くなっていることにたいへん驚いた。
「本日家族がコロナに罹患後の後のため、8/8までテレワークを…」というメールが届いた。
お恥ずかしながら、わたし、「罹患」という言葉を知らず、気になったのでググってみることにしました。
罹患(りかん):意味:病気にかかること、疾病すること。
うーむ、ひとつ勉強になった。
単にコロナに感染したなら「感染」でも良い気がするが、「罹患」という言葉に置き換えるだけで妙に美しい。
コロナに感染しました。コロナに罹患しました。
うーむ知らなかったWWWW
かつて(今も?)お相撲さんが、大関に昇進するとき、どこからか四文字熟語を引っ張り出し、昇進の言葉に添えていた時代があったよね。
貴乃花の不撓不屈、貴ノ浪の勇往邁進、若乃花の堅忍不抜。。。
一方、私の敬愛する千代の富士はなんて言ったと思う
「一生懸命頑張ります」だ。
一生懸命!。いい言葉じゃないですか。何も難しい漢字を調べなくとも十二分に通じるWWW。
つまりだ、コロナに感染したと書けば良い訳で、あえて「コロナに罹患しました。」と使う人間の・・・何やら
私は良い大学出てますよ。私にとっちゃ普通の漢字ですよ。それが何か?
とでも言いたげな嫌味にも見えるWWW。
ところが、この「罹患」という言葉。感染後、完治後を示す言葉としてはかなり優秀で、「罹患後」と「後」を付けるだけで即ち感染後、完治後を表す言葉になるってんだから驚きだ!。
お!いや待て、送られてきたメールには確かに「罹患後の後」と書いてある。
罹患後だけで感染した後を示すわけだから、「罹患後の後」って感染した後のそのまた後ということになり、これは使い方を間違ってるぞなんてこったい!WWWW
ははーん、コイツしったかぶりして罹患後で良いのに罹患後の後って書いちゃったんだ。カッコつけて墓穴を掘ってしまったわけだザマァWWW
例えるなら「台風一過」という言葉の意味を知らず、ついつい台風一過の後と言ってしまったみたいな事だな。いやぁ恥ずかしいWWWどうよWWWW
はぁ日本語って難しいね。りかんね罹患。チャンチャン。
週末、一応兼ねてから計画はしていたのだが、福島鍾乳洞「あぶくま洞」から鶴ヶ城、白虎隊が自刃したという飯盛山。帰りに桃を買って帰るというミッションを決行した。
7月31日日曜、早朝4時起床。5時に出発。6時に印西で豪姫のご両親と合流。車をバンに乗り換え高速へ。
とにかく、こちら方面は、あまり大きな声では言えないが、激震の後高速道路が最後まで断絶していた所謂「放射能」が怖い場所。避けていた感もあるが、ここ近年のコロナ騒ぎ軟禁状態でタガが外れた我が家族は、「どこでも良いからこの機会にドライブしたい」という切羽詰まった要求に応える形で実現した。
高速道路はスムーズに流れていたが、とにかく大型車(トラック)がめちゃくちゃ多い。目に見える範囲では全体の9割が大型トラック。この方々が流通を支えているのだと思うと「ご苦労様です」なのだが、恐ろしく運転が荒いトラック野郎が多い。そしておそらく200K越えで車の間をすり抜けあっという間に見えなくなるバイク野郎!一瞬の判断ミスで死ぬどころか、周囲を巻き込み大惨事になることが判っているのだろうか。郊外の、のどかな景色とは裏腹に、何度も冷や汗を滲ませる怖い思いをした。
まぁそんな恐ろしい高速道路を無事通過し、およそ三時間で最初の目的地「あぶくま洞」に到着した。
昼前で外気は既に40度。鍾乳洞内は10度。一気に30度の温度差。冷蔵庫の中の神秘の空間だ。事前に判っていたことなので、皆上着を準備していたのだが、なんと、鍾乳洞内の湿度が120%ということが解ってなかった。
考えてみれば常に鍾乳洞内は山に溜まった雨水が滴り落ちているわけだし、そりゃそうなんだろうね。・・・とは思わないよね(笑)。「おー寒い」で上着を着て、ものの2、3分で汗が大量に吹き出し、「・・・上着きれないね(笑)」というオチだ。
奥に進んでいくと本当にすごい自然の神秘を堪能できた。残念なのがおそらく最初に探検した探検隊のネーミングセンス!いちいちパネルで紹介してあるのは親切だけど「クリスマスツリー」だの「妖怪の塔」だの、ネーミングセンスに一貫性もなく宜しくありませんWWW.
とわいえ、時に神秘的で恐ろしくもある鍾乳洞の神秘。ライトアップも綺麗で、本当に堪能できた。おすすめです。
鍾乳洞を出て、太陽の光を浴びる。わずか30−40分の滞在時間だけど、別世界から地上に出てきた時の爽快感は格別でした。脳内のドーパミン噴出しまくりリフレッシュ全開でございます。
俺的にはもっとこのあたりを散策し、それでおしまいでよかったのだが、豪姫のご両親が子供たちにどうしても白虎隊の歴史を見せたいリクエストもあり、そこから一時間半ほど高速で移動し、会津若松市のシンボル「鶴ヶ城」へ到着した。城下町は風情もあり、車で移動するだけでもレトロな街並みに癒される。面白いのは駐車場の位置。城の堀の中まで通され、本物の城壁をウネウネ通り過ぎた先に通される。
東京ドーム6個分の広さがあるそうで、目的意識を持って移動しないとあっという間に日が暮れるほどの広さだ。
とにかく暑い!WWW。歩いて天守閣を目指すが、ながーい坂道はつらい。汗が噴き出し漸く入口。まぁ当然ながら城の中は冷房も効いていないわけでゲロ暑いなか、扇風機が熱風を回し、天守閣まで回廊を歩く歩く・・・。各階に「白虎隊」曰くの品々が展示してあり、自刃に至るまでの経緯を事細かく紹介されていた。赤煉瓦も堪能できた。
子供たちはというと、まるで興味がない!親の心子知らずとはよく言ったもので、じいじ、ばぁばも暑さに萎えてしまい、それどころではないWWW。
そんな中、小学生の修学旅行団体らしきガキの集団がワーワー押し寄せてきたので、逃げるようにショッピングモールへ避難。ここだけは冷房が効いている。思わず財布の紐が緩む仕組みだWWW
続いて最終目的地の飯盛山へ移動。なんにしろ「お墓」なので、特に特出することもないのだが、テレビで見たことがある「183段の石段をのぼらず、エレベータで登る」という例のベルトコンベアに乗ることができた。
https://www.gurutto-aizu.com/detail/393/index.html
白虎隊十九士の墓、白虎隊自刃の地、戸ノ口堰洞穴を見学し、「会津さざえ堂」を散策
上りと下りで人とすれ違わない木造の不思議な建造物?ダビンチが設計?いろいろ曰く付きだが、国の重要文化財だけのことはあり、珍しさはピカイチ。別に登って降りたらお経一回読んだことになるとかの伏線もなく、ただ不思議なだけのお堂。ぶらタモリで見た気がするが、なんとも面白い体験でした。
さーて全ての目標をクリアし、高速の道の駅で「桃」も購入し、帰路へ。・・・帰りはこちらも血走って運転してるので、トラックの猛追もなんのその。コッチもぶっ飛ばしてトラック野郎と同じ気分で運転すれば、なにも怖いことはないWWW。
帰宅したのが23時。 朝6時から実に何時間運転してるんじゃ??いやぁぁヘトヘトでございます。でも、楽しいショート旅行でした。
今度は「あぶくま洞」だけで行きたいなぁぁ〜。