我が愛車よ、ありがとう。そして さらば!

とうとう我が愛車、ランボルギーニ・ファミリアを手放すことになった。

平成11年式だから1999年。。。25年選手というわけだ。

手放す原因となったのは運転席側の内側ドアノブが折れたため。
部品は生産中止、ディーラーにも在庫なし、ネットにも出回り品無しと判明して詰んだ。

車の乗り降りに必要なドアノブが使えない これは不便だ。
それに、ドアノブは序章で、もうこの車は満身創痍、老体に鞭打って走っていたのだから、これからもボロボロと経年劣化の故障が出てくるだろう。

廃車にするしかない。

廃車を決めてからは早かった。
業者の選定から車の引き取りまで約10日くらいだった。

まず、業者の選定では費用が安いこと を念頭にネットで調べたら、ほとんどの業者が「どんな車でも買い取ります」を謳い文句にしていた。こちらとしては、多少の処分費用は覚悟していたから買い取ると言われても半信半疑。
テレビCMもやっている業者にネットで査定依頼をすると、早速電話がかかってきて、「4万円です」と言ってきたので即決した。

廃車ビジネスは活況のようで、電話でのやり取りからも業者の“前のめり“の姿勢が伝わってきた。曰く「この電話のやり取りで契約は成立しますから、キャンセルした場合はキャンセル料がかかります。いいですか?」と念押しから始まり、翌日には速達で必要書類など記した郵便物が届く。車の引き取り日程も一週間後から対応すると、非常に積極的に感じた。

こちらとしても異存はなかった。
それに、廃車と決まった自分の車を見ているのは思いのほか切ない。
車好きというわけではないが、この感覚は正直なところだったので、早く引き取ってもらえるなら願ってもないことだった。

引き取りの日。
マンションに面した通りに大きな運搬トラックが到着。業者さんは慣れた感じで愛車をトラックに乗せていく。

到着から10分もかからなかったのではなかろうか。慣れたものだ。心の中では「ドナドナ」が流れていたのは言うまでもない。

こうして我が愛車・ファミリは去っていった。
親父が1999年に購入、亡くなった翌年の2006年に大阪に引っ越してきた時に我が愛車として大阪の街を走ることになって18年間。よく頑張ってくれた。
特にコロナ下においては通勤の足としても大活躍だった。

感謝しかない。 いや 大感謝だ!