俗語なのか死語なのか

なにげに若い子(10代)が「それダッセーな」と喋ってて、ふとダサいって死語じゃないのかな?と思い、暇人にもネットでググって調べた。
するとだな、ダサい、ダッセーは、1970年代の「ツッパリ少年、少女」が流行らせた俗語で、なんと現代でも通用する(死語ではない)ことが判明(笑)。ダサいに変わる造語がなかったんだなと推測。

でも、ダサいと言わず、「ダサダサ」とか「イモ」とかを利用すると「死語」になるってんだから難しいWWW。もちろん対義語っぽく使われる「ナウい」は完全死語。
かくして、初代「ツッパルことが男の勲章」世代の我々より、現代の若者まで、公用語(造語)としてダサいは継承されていることが判った。素晴らしいことだ(笑)。

こういうことが気になる俺って文字通りダサいのかねWWWW

“俗語なのか死語なのか” への1件の返信

  1. >こういうことが気になる俺って文字通りダサいのかね

    この類まれなる暇ネタをramがぶち込んできたのを見て思ったのは、ramはそんなに若い連中と交流があるのかという驚き。ある意味うらやましい。あるいは、本当に今、ものすごく暇な時間を過ごしているのではにかという疑念(笑)

    ちなみに「ダッセー」が現役というのは知らなかった。いわれて考えると個人的には「ダッセー」の代わりが「残念」かと思ってた。「ダサい服装」が「服装が残念」みたいな感じでね。私もこの手の「残念」を使うことが多くなっている。

    昨日、人間ドックに行ったのだが、コロナ禍の自粛生活でてっきり増加していると思っていた体重が昨年より3㎏減っていた。よかった。
    マラソンで自己ベストを出した2017年の体重よりまだ2㎏多いので、今後はそこをターゲットに精進していこうと思う。

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