お袋が他界し、6月1日で一周忌。喪中なんだと。(知らなかった。正月喪中で終わりかと。)
んで、法要で会場借りたりとか色々手配する必要があるのかなと姉貴に相談で連絡した。
そしたら意外な返事が。
「初七日、49日法要まで纏めて済ませたし、コロナやし、せんでよかろーもん。あたしもしんどかー」
・・・まーね、ほら、そうは言っても我が母やし、なんか釈然としなかったが、次の言葉で納得した。
「法要やら何度も開いて、その他大勢のご老体と縁深くなったら、知らん人(親戚)の葬式にも参加せにゃならんごとなるバイ」
・・・うーむ、なるほどある意味合理的な判断だ。確かに俺は東京から遠隔操作だけど、姉貴は地元に居る訳だし、負担が増えるかもって事か。そうだな。親戚の世話話は全部姉貴が背負い込む形になるもんな。コロナを理由にやめとこか。
ってな訳で、お盆は別に考えるとして、一周忌はお互いに合掌することで決着がついた。
この判断についてデュアル氏より忌憚のないご意見をWWW
因みに親父は(も)糖尿病で施設と病院を行ったり来たり。姉貴が顔出ししたり世話をしてくれている。頭が上がらないのでございますよ。ボケ老人は色々な意味で大変だから。今年91歳。世の中高齢化社会というが、まさにこのことなんだなと思う今日この頃です。まーた今年も介護保険料上がっとるがな(T . T)。
姉君(あねぎみ)のご意思は尊重すべきと思う。お姉さんのご事情もあることだし。一方、一周忌についてもそれぞれの解釈でよいと思っている。必ずしも親戚に参加を呼びかける必要もないし、それぞれの生活の地で合掌だけで済ますというのも全然あり。気持ちの問題だからね。
気持ちの問題であるはずのイベントとはいえ、世間体的な要素も含まれてきた慣習的なイベントっていうやつは、いろいろと考えてしまうこともあるとは思うけど、それぞれの考え方が正解ということでよろしいのではないでしょうか。
最も寂しいことは、故人のことを忘れてしまうことだから。
忌憚のないご意見ありがとう^^。そうなんだよね、気持ちの問題なんだよね^^。
日本人としては、お互い長男坊として色々家紋を引き継ぐ立場。
いざ「自分が」となった今にして初めて気がつくことやら思うことが多々ある。まぁ我が家は本家の血筋でもなく、別に自分の代で家系が途絶えたとしても何も歴史上変わらない訳だが(笑)、親や親戚を尊重する「気持ちの問題」としての代償でお墓問題やら法事やらが存在する訳だ。俺は息子がいる建前もあり、引き継ぐべき日本の風習にも気を配りたがる。日本は戦後76年?俺らの時代でも「死」について直面する機会は少なかったが、今の時代、親戚の数も激減し古き風習も風化。家族と親戚の孤立化が進む中、まさに自分の両親の「死」こそが唯一無二の死と直面する場となった。
俺の家族は孤立化し親戚から古き風習を学ぶことは無かった。もっぱらインターネットを活用し、業者との打ち合わせで、一般的にはこうだという風習に従い、葬式や初七日、49日などのイベントを纏め、「とりあえず」の形式をなぞることができた訳だが、これが本当に親戚一同が納得するイベントだったかといえば、そうでない気もする。だって親戚は何も教えてくれなかったし(笑)。俺のお爺ちゃんおばあちゃんは壱岐島だから、先祖代々の神(島国なので、
水害や海難などの天災をなだめる神)に報告する風習なんかあった。キョンシーみたいな格好してお婆ちゃんをやぐらに乗せて、火葬場まで移動したり・・・そんな普通ではない体験をした俺だからかも知れないが、古き風習に従うことの意味を感じるのだ。学ぶべき一生のまー古き良き日本の風習に従いたいところだが、なかなか個人にとって都合の良い解釈しかできないよなぁー^^;。お袋、こんな俺でごめんよ^^。
あ”ーこんなこと書く俺って「めんどくさい親父」になってるのかも知れないね。スマン(´・ω・`)<(_ _)>(笑)