最近薄毛が気になる。

俺は禿げでは無い!(冒頭のつかみWWWW)
が、確実に毛根は衰え、髪の毛そのものが細くやせ細っている事を実感する。白髪も増えた。
ドライヤーで頭を乾かすとき、地肌が見える量が増えている!禿げだ!
いや俺は禿げでは無い!(第二のつかみWWWW)
50代になって、こんだけ髪があれば「御の字」という見方もあるが、俺もデュアルも50代の見た目ではない!WWWW
とんでもない!30代でもお釣りが来る程、生活パターンは若々しく、顔の艶も潤いも50代のソレとは桁違いだ(失礼WWW)
現に同窓会や、東京同窓会でも「ホントに同じ歳???」となんども聞かれた程だ!そう!例え年齢が50代だとしても、50代として受け入れがたい話もある。その一つが髪の毛だ!そうだろ同士WWWW

髪の毛について俺もネットで色々学んだ。まずは育毛材の話
最悪なのは毛生え薬系。医学的に認められている毛生え効果「ミノキシジル」これが育毛に効果的だという。日本では唯一認可されている「リアップ」。これがそうだ。毛生え薬は色々調べると、確かに効果があるようだ・・・ん?・・・なになに?  恐ろしい!リバウンドだと???

そう、毛生え薬は元々荒れ果てた頭皮という荒野にバシャバシャ栄養剤を振りかけ、髪の毛を収穫するというもの。これは、野菜の収穫に似ているのだWWW。
養分となる土(頭皮)に栄養を与え、苗床(毛根)を育てる。が、これはドーピングをしている状態なので、もし、「ミノキシジル」を頭皮に利用し始めたら、そこから一生、頭に「ミノキシジル」を投与し続ける必要がある。一生だ!なぜなら栄養が無くなると、たちまちドーピングされた苗床(頭皮)が枯れ果て、二度と再び再生しなくなるというのだ!つねに頭皮を薬品漬けにしないと・・・なんて恐ろしいんだ育毛剤!!!WWWW絶対使うべきでは無い!

続いて、シャンプーの話。
シャンプーの裏面を良く見てみよう。「合成界面活性剤」と書いてあったらもうアウト!こちら、マウス実験で非常に危険な薬品だと立証されている。にも関わらず、安価で合成しやすいという理由でシャンプーやリンス、石鹸にまでガンガン汎用で利用されまくってる恐ろしい薬品らしい。取り急ぎ、こういった薬品は使ってはならない。ネットの時代になって初めて判った!チクショー!WWWW
因みに俺は「ニゾラールシャンプー」を週1、2回利用している。皮脂+雑菌=フケなのだ。毛根を根絶やしにしない為にも加齢と共に増殖する皮脂は抑制しなければならない。脂漏性皮膚炎、抗菌、気にする事が沢山あるのだWWWW
http://www.hair-protecter.com/scalp/seborrheic_dermatitis/shampoo.html

精神の問題。
頭髪は精神的な要因も大いに関係するのは知れたことだ。円形脱毛症なんか極論だが、そういった精神的ストレスの原因・・・煙草・・・睡眠不足・・・暴飲暴食・・・酒・・・オイ待て!全部じゃねーかチクショーWWWWW
俺の薄毛の原因はそういった複合的な要因なのではないか!これは困った!なぜなら現時点で解決しようが無い。
ここはポジティブに考えよう。・・・ストレスを貯めない事WWWWW

ホルモンの問題。
女性ホルモンと男性ホルモン・・・難しい事はともかく、加齢によりホルモンのバランスが崩れ、どんどん中性化していく。「え?お爺ちゃんなの?あ?お婆ちゃん?」と服装でしか性別が判断出来なくなる訳だWWWW。これはまだ先の話だ。置いておこうWWWW。

結論 仙人
そう、最終的な結論は、食生活とお風呂の入り方にある。食生活は動物性の油脂はできるだけ摂取しない。お風呂では出来るだけ身体を洗わない。
まぁ食生活については「まさにそのとおり」で物議を醸すことは無いのだが、お風呂で身体を洗わないとはいかがなものか。
俺は、「タモリ」という人間に近年インスパイアされている。このタモリという人、変わった(変人)ポリシーを持っていて、これが実に理にかなっているのだ。まずは一日一食主義。日本人は戦前まで一日一食か二食。戦後、高度成長期に政府、厚生労働省が打ち出した政策が「一日三食」だ。アホな蘊蓄野郎が「一日三食食べなきゃ身体に悪い」と、ソレっぽい理由を付けて一日三食バランス良く食べましょう〜なんて提唱し続け、しまいには「先進国デブ文化」を築き上げてしまったのだ。既にアメリカでは「一日三食はカロリー摂取過多になるから止めなさい」となっている。一日一食は非常に身体に良いのだ。
そして、お風呂で身体を洗わない・・・実に眉唾ものなのだが、こちらも理にかなってる。福山雅治もその様子だが、そもそも毎日身体をゴシゴシ洗うと、皮脂が剥がれ過ぎて炎症を起こしてしまう。石鹸やシャンプーには「合成界面活性剤」。トンでもない程皮膚が痛みまくる。
そして、頭もシャンプーを止め、最終的にはお湯で洗おうというのだ!これぞ究極のシャンプー「お湯!」WWWW。
上手く伝わらないので、それとなく良い事を言ってるページを探したWWWW
http://www.echoscouade.com/ofuro-qa03.html

髪の毛の話をしてると、最終的には「仙人」になれ!という事なのだろうか・・・うーむ。

スマホのアプリ

懸案事項だったスマホの機種変更を実行することにした。というか、“した。”

ショップで待たされるのが嫌なのでauOnLineSHOPにて手続き。新機種はXperiaXZ。明日か明後日には到着予定。

で、古いスマホの反省から、今度のスマホはホントに使える必要最小限のアプリをインストールしたいと思っている。

旧スマホで後悔したアプリは主にスマホの管理ソフト(キャッシュクリアとかクールダウンとかするヤツ)

動作が快適になるとか、そういった評価をみると試しに使ってみようとインストール。その結果、やたらと「メモリが70%以上使用されています。」とか「CPUの温度が上昇」とか、いったメッセージが出てくる。(広告もうっとうしい)そして、タップするとメモリの解放やCPUのクールダウンなんかを”やっているよう”なのだけど、ホントに意味があるの?むしろ、そういう常駐アプリがある方がパフォーマンスを落とすんじゃないの?、思うようになった。

こういったことは、新機種のスマホにデフォルトで入っている機能で十分対応可能ではないのかと思うのだが・・・。

この考えは正しい?それともスマホを効率よく、そして動作を快適にするために何か効果的なアプリは知ってる?

 

従兄弟の葬儀にて

この週末、母方の実家・佐賀に行き、従兄弟(弟)の葬儀に参列してきた。

先のスレにて報告した年始に自宅で独り死んでいるのが発見された従兄弟の葬儀だ。その葬儀で目の当たりにした二つのお話。長文でゴメンだけど書き留めておきます。

葬儀は福岡県久留米市から車で15分ほどのところにある佐賀の実家近くのお寺で行われた。お寺には話を聞きつけた地元の友人、男女併せて二十名ほどが駆けつけていた。地元を離れて30年以上経っているのにこれほどの友人が自然に集まるなんて、活発で友人が多かった故人の人柄を象徴している・・・とお寺の住職さんが驚いていた。さらに葬儀場には無くなった静岡県の仲間達からの贈り物が届いていた。それは写真と寄せ書き。

喪主を務めた従兄弟(兄)によると、静岡の地元では弟はちょっとした有名人で飲み屋街ではその名を知らない人は居ないと言われたらしい。写真を送ってきてくれたのは二つ別々のグループ。一つは行きつけの美容院夫婦のグループ。お客というより友達として付き合っていたらしく、飲み会やバーベキューなどたくさんの仲間と遊んでいたそうな。もう一つのグループは、これも行きつけの料理屋のご夫婦が中心となった主にボーリング仲間のグループ。それぞれのグループの写真をみると同年代というより若い年代の男女の集まりだった。料理屋のご夫婦は年末に連絡が取れなくなった時、このご夫婦が周囲の緊急病院に片っ端から電話をかけて弟が担ぎ込まれていないか探してくれたそうな。さらに先の美容院夫婦も連絡が取れないことが不安で、弟の住む部屋の大家に「部屋の中を訪ねてくれないか」とお願いしたとのこと。しかし、大家は動かず、いよいよとなって警察にお願いして発見に至ったらしい。従兄弟(兄)たちとは遺体が安置された警察署で会うこととなり、その後のやりとりが続いたそうな。静岡で火葬されたその日、それぞれグループは弟の遺影を飾って偲ぶ会を開いてくれた。今回の葬儀では、そのときの写真も含めて、弟さんとの楽しい思い出の写真をパネルにして送ってきてくれた。寄せ書きには「ありがとう」「楽しかった」「忘れない」などなど。。。

私が最初に聞いた話では「寂しい最後」をイメージしていたけど、この葬儀に集まった旧友たちと、送られてきた静岡の仲間達の写真と寄せ書きをみて、救われた想いと感動すら覚えた。。。というお話が一つ。

もう一つのお話は、従兄弟(兄)と従兄弟(姉)から聞かされた話。

警察からの電話で静岡に向かった従兄弟(兄・姉)。遺体が本人であることを確認した後、遺品整理にと弟さんが住んでいた部屋を訪れたとき、その室内の様子に絶句したそうな。室内はゴミ屋敷のように散らかっており、弟が横たわっていた布団は破れ、カビも生えていた。警察の人も最初に立ち入ったときは生活苦による死因ではないかと思ったとのこと。姉はこんなところで弟は独りさみしく死んだのかと想い、号泣してしまったそうな。そのときに判明したのだが弟さんは7~8年前に会社を辞めていた。それまでの貯金と退職金、そしてアルバイトなどで生計を立てていたのだろう。借金などはなく、貯金は数百万円残っていた。

年末の経緯も明らかになってきた。年末になくなった叔母(従兄弟達の母親)が11月末に入院したとき、兄は弟にもメールしていた。おそらくそれを見てだとは思うが、弟さんは料理屋のご夫婦に「12月はいろいろ忙しくてイベントには顔を出せないかも知れない」と言っていたそうだ。そして12月に入ってから連絡が取れなくなったとのこと。部屋を訪ねるも鍵がかかったままだし、携帯電話は鳴るけど出ない。メールを送っても返信が無い。普段の弟さんを知っている仲間たちからすれば「ただ事ではない」となったそうだ。私が先のスレで報告した年末年始にかけて連絡が取れなくなったというのは誤りで、12月の初旬から音信不通になったとのこと。さらに警察の検死の結果は死亡時期は12月下旬(くも膜下出血によるもの)。。。これらのことから弟さんはくも膜下出血の症状で身動きが出来ないながらも、しばらくは生きていたのではないか・・・という絶望的な推測。さらに中旬頃、仲間の依頼どおり大家さんが部屋を訪ねていてくれていたら・・・。もし、会社勤めをしていたら無断欠勤になるから会社の人が様子をみてくれたのではないか。。。という悔恨の思いが駆け巡る。

インスタント食品のゴミの山。。風呂はあるけど汚れて使える状態ではなかったようで近くのスーパー銭湯のチケットが多数あった。遺品整理をしていたとき、美容院ご夫婦が訪ねてきて部屋の様子に絶句していたらしい。普段も部屋の前までは来たことがあるけど部屋に上がったことはないとのこと。会社を辞めていたことはごく一部の仲間は知っていた。このご夫婦も知っていた。動機について、転勤を断ったら他の家族持ちの社員が転勤することになり居づらくなったと話していたという。40代で退職し、再就職も難しかったのか、それともあえて定職には就かなかったのか・・今となっては解らない。。。これが葬儀で聞いた二つ目のお話。

佐賀と静岡、そろぞれに多くの仲間がいて慕われ、少なくとも写真で見る限りでは楽しく暮らしていた弟さん。そして、一方では仕事を辞め、荒れた部屋で暮らし、人知れず死んでしまった弟さん。。。この二つの話のコントラストに私もうまく言葉が出ない。

従兄弟(姉)によると、弟の部屋には書きかけの履歴書があったそうだ。そして弟の車もちゃんと動く状態で駐車されていて、そのカーナビの目的地の設定は佐賀の故郷になっていたとのこと。おそらく、母親の入院を聞きつけて数年ぶりに故郷へ帰る準備をしていたと思われる。そして再就職の準備も。。

以上、従兄弟・・・というより、ある同年代の男の人生にまつわる二つのお話だ。。。合掌。。。

困った息子

そう。デュアルに4年生祝いまとめを頂いたのは去年の4月頃。ご推察どおりの状況。一真は「いじめっ子」ではなく、どちらかといえば「いじめられっ子」なのも変わらず。子供のサッカーの状況が変わったのも4月から。ちょいと分析してみた。

その1)コーチが代わった。
これは大きな変化だった。今までYコーチが低学年、高学年と面倒を観てくれていた。このコーチはもとサッカー選手で、学生時代、名門学校でチーム内で競争するサッカーを経験し、サッカーが楽しく思えなかった過去の思いもあり、ボランティアでコーチをしてくれていた。なので方針は「小学生らしく、みんな仲良く、全員で頑張ろう。」という方針で、脱落者もなく、みな和気藹々と、楽しいサッカーだった。まぁ低学年なんてホントのどかなサッカーで、皆ボールにワーッと群がるだけ(笑)。コーチには一真もとても良くして頂いていた。
4年生になり、Sコーチが4年生を担当する事になった。このSコーチの方針は「勝ちに行くサッカー」。出来ないメンバーは容赦なく切り捨てる狂犬で有名。

まぁ必然的にYコーチとは方針が合わず(Yコーチは小学生らしい楽しいサッカーを教えたい。Sコーチは勝てる試合をしたい。)、結果、Yコーチはサッカーコーチを辞めてしまう事になった。
Sコーチは勝ちに行くサッカーをするので、これまでと試合運びも一転。信じられない程成長を遂げ、今までお遊戯だったサッカーが、ゴールもバンバン決まる「勝てるチーム」に生まれ変わった。
親御さんは喜ぶ半面、試合に出させて貰えない子供も増え、不満もあるが、やはり自分の子供が出なくても試合に勝てると嬉しい。要は息子が真剣にサッカーに取り組めるかが決め手となってくる。選抜メンバーにならないと、練習メニューも異なる事から同メンバーの中で壮絶な争いが始まった。

その2)明確な実力差が出てきた。
サッカーが上手な子供と、サッカー運動音痴の子供とが明確な差が出てきた。4年生にもなると、しっかりポジションを持ち、隙あらばゴールを狙え!と檄が飛ぶ。普段から遊びにもサッカーを取り入れている負けん気の強い子供達は、相手の位置関係も把握し、しっかりとボールを捉え、パスを回せる年齢だ。が、運動音痴の子供達はそんな動向には付いていけず、明確な差を埋めることもできず、隅っこで自主練習をしてろ!ってなる。

その3)自閉症の子供K君の存在。
自閉症の子供K君。母子家庭で、母親は最初に「この子は自閉症なので!」と宣言している。
まぁ自閉症と言っても色々あるが、この子の場合、他人と接触する事が苦手で、喧嘩をふっかけることで注意を促すというタチの悪いタイプの自閉症で、まぁ周囲も先に判っていた事なので、叩かれたり、殴られたりしても穏便に納めていた。この子は手当たり次第喧嘩をふっかけていたのだが、3年生になると、周囲の反発から孤立していたK君。その頃、ターゲットを一人に絞り込んだ。その相手が一真だ。
それから、一真はいつもK君に喧嘩をふっかけられ、喧嘩をするという構図が出来上がった。これがバツの悪い事に、普段は仲良しで、いつも一緒に居て、突然喧嘩をふっかけられ、二人を引き離してもまた一緒にくっついているという・・・先に書いた水筒を振り回した事件もこのK君にしつこく攻撃された挙げ句、一真が水筒を振り回したら、K君の頭に当たったというものだ。
周囲の親御さんも様子を観ていたので一真は悪くないとはなったが、小学生は喧嘩両成敗が一般的。どっちも試合に出させて貰えなくなってきた。他の親御さんは、ターゲットが一真に集中し、自分の子供では無くなったので、ホッとしている面もあるのかも知れないが、必要以上に一真は目立ってしまってる。

とまぁ、客観的な・・・いや、親から「ひいき目」に観るとこんな感じの分析だ。一真はこのような周囲の変化に付いていけず、翻弄され、自暴自棄になっているのだろう。一真は、辞めてしまったコーチの「みんなで楽しく和気藹々と」が好きだったから、今の「勝ちに行く」コーチの方針と趣旨が合っていないのだ。

まぁサッカーはお遊戯ではないのだから、勝たなきゃ意味も無いのも判る。前に書いたと思うが、4年生から対流試合も増え、他校と競い合うスタイルへ代わっていく。
だが、「小学校」で生徒同士で実力差が出てきたとき、「駄目な子供とも協力し、助け合う。」姿勢ではなく「駄目な子供は切り捨てる。」となると・・・俺の息子の様に「出来ない子供」を持った親御さん達は、ただため息をつき、やりきれない「想い」で子供達を観るしかないのが現状だ。これが本来のサッカーなんだろう。名門サッカーチームはこういったジレンマの中、抜きんでた子供を育成する訳だし、仲良し倶楽部だった低学年のサッカーが切り替わるのも、まぁ、小学生からそんなに??小学生なら和気藹々で良いじゃん・・・とかも想うけど、、、。

一真は、それでもサッカーが好きだと言って練習に打ち込む姿は立派だし、小学校6年まで辞めないという強い意志も賛美に値すると思う・・・が、現実はチームの中で「サッカー出来ない子」となってしまい、急な変化に付いていけなかった息子は、ボールに積極的に関わらなくなり(走らない)、ベンチに入れられると興味を持てずに寝てしまうなどの行為を繰り返し、コーチの目には「出来ない子」から「問題児」へと発展している要因なのだろうと推察する。Sコーチは自閉症の子供の事を4年生から知った訳だし、一真との小競り合いを観て愕然としたのだろう。片方は病気と宣言しているので、一真に問題意識が集中してしまっているのも判る。

更に俺は、少年サッカー会長役を担当している。正式には「少年サッカー育成会」の会長だ。会長としては広く子供のサッカー人口を増やす事に力を入れたい。「サッカーは楽しいよ」「まずは見学に来てネ」と呼びかける・・・真逆だ。

まぁ〜恐らく俺はSコーチとにとって、とてもやりずらい親なのだ。一真はその狭間に居る子供なのだ。

子供がそんな感じだと、親の責任が問われるのも判る。俺は基本、子供の意志を尊重し、自由にしたいのだが、その結果、団体行動に支障をきたすと問われれば、「一真君の親は(俺)なんだもんねーーーこれ以上は言えません」と、変な感じになってしまい、顕著に親御さん達の俺に対する態度も変わって感じるようになった。

もう一人、俺達と同じ歳のBコーチと遠征で車が一緒になり、「(俺)が子供に叱りすぎるのではないか?」と疑いをかけてくる始末。
(このBコーチは職業が警察官(警視庁に勤める役員)でボランティアでサッカーコーチを引き受けてくれている)

俺は、口で言っても判らないなら叩く。それがBコーチの「子供は叩かない」という方針とぶつかってるらしい。いや、口で言って判らない子供はぶっ叩くだろ(笑)・・・現代では通用しない。警察的には俺も要注意人物だ。
ヤレヤレなのだよホント・・・。