ドキッ その2

週末に福岡に帰る算段をしつつ職場にいると、お袋さんが入院している病院から電話がきた。

何事か、と思って話を聞くと、昨日のCT検査でガンらしい腫瘍がみつかったとのこと。

「は?」

骨のCT画像を解析したところ、腫瘍の影らしい画像が背骨付近に多発していたらしい。で、電話したのは、その腫瘍は転移したもので、原発巣を調べるために全身のCT、MRIの検査をしたいので同意してくれるか?というもの。

ちょっとだけ思考が止まった。
ホントの「ドキッ」ってやつだ。

ただ、病院の人のトーンが内容に比べて重くなかったので、こちらも調子を取り戻す。

調べなければ何も始まらない。そう思って、病院側の提案に同意。次はお袋さんを説得。年齢が年齢だけに、身体に負担のかかる治療はノーサンキューというスタンスな人だ。

普通に暮らしている時に下手な検査や治療は不要、といって生活するのはよい。でも、今回のように怪我の検査でみつかった場合、放置する方が気持ち悪いモノを残すのでは?検査は検査、治療をどうするかは後で決めればよい、ということで本人も納得してくれた。

で、夕方。さっそく検査結果の報告が主治医からあった。結果、原発巣はわからない。つまり、腫瘍がある骨以外、内臓的に問題のある個所はCTやMRIではわからなかったということだ。

この報告に素人である私は少し安堵した。というのは、内臓のどこかに明確な腫瘍が見つかれば外科的手術をするかどうかとなる。しかし、そういった部位がいまのところは見つからない、という報告だったからほっとしたのだ。安易かもしれないが。

で、担当医から、次の段階として腫瘍らしきモノがある背骨の組織検査をしたいとの提案があった。私は賛成の立場。しかし、お袋さんはちょっと渋り気味。週末にかけて説得することになりそうだ。

といった具合で本当の「ドキッ」な話になった。みんな誰しもが経験する話だが、二日前に一度安心した分、今回はびっくりしたよ。

ライブチケット

そんなわけで、今週末に予定していたBUMPのライブ(愛知)に行けなくなった。

チケットのキャンセルは一切できないのはご存じのとおりだが、どうも公式トレードというシステムで自分のチケットを希望者の抽選販売に出品できることを最近知った。

問題の愛知のライブも出品できた。手数料は取られるが9割がた料金が戻るなら御の字だ。福岡への交通費の足しにできる。

でも、残り3日くらいで買い手がつくのだろうか・・・その問題はある。

システムにはその愛知のライブについて9枚の出品があるようだ。
さて、どうなることやら。

ちなみに、このライブ。一回目となる福岡は参戦済み。
このころには若干テンションも普通に戻っていて、ライブに行くのが若干おっくうに感じたが、実際に始まってみるとやはりイイ。
愛知も楽しみにしていたのだが、ま、仕方がない。

残りの仙台、長野のチケットはトレードしない。すでに宿屋も交通手段も抑えているからね。現地のグルメも楽しみたい。

ドキッ

年度末、慌ただしく日々が過ぎていくねぇ。

仕事を休んでいた昨日、映画館を出た私のスマホに姉貴からの着信履歴があった。

何ごと?と思っていると、メールも入っていたので確認すると
「母親が倒れて怪我して入院した」とのこと。

なんでもご近所さんの手を借りて病院に行ったそうな。

ドキッとしたねぇ^^;

その後、母親、姉貴に連絡を取り、すでに15時を回っていたけど福岡に帰ると伝えると、コロナだから面会はできない、必要なものは病院でレンタルできる、処置の説明などは家族の立ち合いも不要とのことだったので思いとどまった。

なんでもマンションの階段を降りるときに滑って尻もちをついてしまい、その時に腰椎圧迫骨折が発生したとのこと。骨折と言ってもヒビが入った状態なので、何か手術をするという話でもないようだった。

とりあえず、週末に俺と姉貴で福岡に帰り、ご近所さんへのお礼と、必要なものを病院に受け渡す予定だ。

退院後のことも考える。

前の生活が可能なのかどうか。無理はさせられないと思いつつも、下手に運動不足になってもよくない。難しいところだ。

ひるがえって、我々も健康には注意し、日々鍛錬、とまではいかなくても身体を丈夫にしたいなと思った。

大雪警報をみて思ったこと

2月10日 東京に大雪警報がでているようだ。
大丈夫かね。

ramがお休みであること、または在宅ワークであることを祈るばかりだ。

雪といえば、大阪の方でも降雪が予想された日が先月あった。
最強寒波の到来によるものという。

その日は路面の凍結を警戒して、車ではなく電車通勤に切り替えたが電車も電車で降雪のためダイヤが大幅に乱れていた。やれやれである。

今思うのは、子供の頃は楽しいイベントだった「雪が降る」という気象現象が、全く歓迎できない大人になってしまったということ。

たしか、20代のころまではスキーに行くために車のチェーンを購入したりしていた。実際に何度かスキー場までチェーンを巻いて車で行った。
つまり、「雪が降る」ことを歓迎し、その中でも行動できた。

でも、今ではそんな行動を自分がするなんてとても想像できない。

うーん。

定年後にでも冬の北海道旅行ぐらいは行ってみるかな。

その時、雪景色に感動し、楽しめたら良いのだけど。

このゲームに感心しきり

ramは「Sekiro」というゲームを知っているだろうか。

この作品を通じて、ひさびさにゲーム制作という仕事に感動を覚えたので書き記しておく。

このゲームは、約4年前の作品だが、フロムゲームソフトウエアという業界では一目置かれる会社が製作した名作と言われているものだ。
今、プレイしても全く色あせた印象はない。

で、何に感動したかというと、このゲームのシナリオ、世界観、それらを映像に落とし込む作業などなどの創り込みのすさまじさだ。

何を言っているか、絶対に伝わらないと思うが、簡単に「感動した経緯」を整理すると、次のようになる

  • アクションゲームとして楽しんでいた私。
  • そのバトルシステムの斬新さに驚きつつ、映像の美麗さにも感動。
  • さらに何やら複雑な世界観をにおわすセリフの数々
  • でも、”死にゲーの代表作”と言われる本作を必死にクリアしていく私。
  • それだけでも十分ゲームを楽しめていた。。。
  • しかし、最近、この作品のシナリオ、世界観、映像、背景に描かれている意味などなど、その”奥深さの一端”を知って「(アクション)ゲームの製作にここまでするのか!?」と感動してしまった  ← 今ここ

その奥深さを語るものとして、「Sekiro」の世界観を考察したブログを紹介する。考察項目は50を超えている。

なお、この手のブログや動画は日本はもとより世界に多数存在する。

私はアクションゲームが得意ではない。死にゲーの代表作と言われるだけあって、途中のボスたちに数十回殺されることが何度もあった。でも、評判にたがわず、やればやるほどハマってしまった。

そんな修羅の道もようやく終盤を迎え、いよいよラスボスに挑もうかという段階に辿り着いた。

しかし、そんな私が、これまでの道のりで見向きもしなかった神社仏閣の仏像のデザインや屋敷の紋章などの舞台装置はもちろん、登場人物のセリフや歴史などのすべてのシナリオに繋がりがあり、歴史と意味があるという作り込み”がされていたなんて。。。
いや、作り込みという表現より、現在・過去・未来をも繋がりをもった世界を創ったというべきシナリオだ。

本当に感動した。