SSTRに行ってきた!

「SSTR」(Sunrise Sunset Touring Rally)
この列島縦断オートバイラリーは2013年にスタート。今年で14回目を迎えるイベントだ。
 一昨年前に起こった震災をうけ、能登半島の復興イベントとしての意味合いも持っている。

 ルールを簡単に説明すると、太平洋側の海岸線のどこか自分で決めたスタート地点を日の出とともに出発し、能登半島は石川県の千里浜なぎさドライブウェイのゴールに日が沈むまでに辿り着かなければならない。
 さらに運営が決めた指定ポイントに立ち寄って、一定のポイントを稼がなければならない。ポイントが足らない場合、時間内にゴールしても認められないことになる。

 今大会の開催期間は5月23日~5月31日(最終日はイベントのみ)。参加者は、それぞれ期間中の出発日を選択し、その日のうちにゴールしなければならない。
 私は、5月24日(日)を選択。この日の参加定員は2000人。ちなみに全日程とも満員御礼だったらしい。

 スタート地点は「太平洋側の海岸線」というルール。大阪在住の私は、すぐそばに大阪湾があるので「どこでも、いつでも決められる」と考えていたが、これが結構、決めづらかった。
 フェリーが発着する大阪港、万博会場となった夢洲(埋立地)などなど、いろいろあるのは確かなのだが、「早朝、バイクで乗り入れる場所」となると、意外に決め手に欠ける。港近くのコンビニ駐車場、とかでも良いのだが、これはこれで他の参加者が”わんさか”集まりそうだ。

 結局、スタート地点に決めたのは、大阪湾をぐるっと囲むように配置された阪神高速湾岸線・中島パーキングエリアだった。

 そして、ゴールまでのルートはこちら。

 スタート当日、直近までの雨予報が外れ、薄曇りの中、午前4時30分にスタート地点の中島PAに到着。日の出の時刻、午前4時50分を待ってスタート!(実際は同じスタート地点に来たハーレー乗りのSSTR参加者と話し込んで20分遅れの午前5時10分過ぎに中島PAを出発した)

(中島PAから写した大阪湾。雲がなければ左側から日の出)

(早朝の高速を駆け抜ける)

と、ここからゴールまでを事細かにレポートしていたら時間がいくらあってもたりないので、結果から紹介。下の画像は専用アプリの記録画面。立ち寄りポイントで、地点登録をすることで獲得ポイントが加算される仕組みだ。

 ゴールまでに9つの指定ポイントに立ち寄り、獲得ポイントは27点。
ゴール時刻は、午後4時31分。レース時間は11時間40分。走行距離は622kmだった。

 そして例のごとくAIによる走行動画もアップしておく(音注意)。

 初めての参加だったので、全てが特別な体験だった。あたりまえだが、走っていると数多のバイク乗りとすれ違う。そのたびに左手を上げて「ヤエー!」のあいさつをするので、おそらく一日で交わした「ヤエー!」の最多記録となった。

 あとひとつ、書いておきたいことは、能登半島における震災の傷跡を目の当たりにして改めて神妙な気持ちとなったこと。
 特に能登半島の北側、「道の駅 輪島」から「道の駅 とぎ海街道」に向かう山中を抜ける約1時間のルートでは、がけ崩れの跡、修復工事中のため片側交互通行の細い山道、点在する集落を通っても人が住んでいる気配がないなど、独特の雰囲気だった。
 道が細いので大きなバイクは通りづらいのかSSTRのバイクどころか、車一台ともすれ違うことがない。そして、住民を目撃したのも畑仕事をしていたおばあさんとおじいさん二人くらい。オイラのバイクの音に立ち上がってコチラをみていたが、「なんでこんなところにオートバイが?」てな感じで、SSTRというイベントをご存じなかったかもしれない。
 そんな老夫婦が震災復興もままらない山中でひっそり暮らしている。考えさせられる。神妙になる。

 まとめる。
 初めてのSSTR、参加してよかった。
 バイク乗りのイベントとしても、ツーリングスポットとしての能登半島も。
 おっくうがらずに参加してホントによかった。

 そんなこんなで、まだまだレポートしたいことがあったような気もするが、とりあえずここで筆をおくことにする。最後はゴール時の動画(音注意)

自由に生きるには・・・

いきなりのタイトルで申し訳ない。
哲学的な、中二病的な言葉しか出てこなかった。

Ramのお姉さんの話は衝撃だった。
そして、非常に考えさせられた。

親子なのに、同性なのに、お互い良い年齢を重ねたのに・・。
それでも、他人には、兄弟姉妹でも、立ち入れない、どうしようもない人間関係が発生する。
うちの姉貴のことも含めて、改めて思い知らされた。

そして、Ramの「最後は親子だったよ」に救いも感じた。
ありがとう。

たとえ、親兄弟であっても、「変えられないもの」の方がほとんどだ。
ホント、そうだ。

でもね、改めて思うのは、こじれた人間関係っていうのも、しょせん「その人の主観の世界」ではないか? ということ。
それは「その人次第」で主観を変えることができるし、それは「世界を変えることができる」と同義だと思うのよね。

人間、何かに「執着する」と「不自由になる」、ってのは一定の真理だ。
カネに執着する人、モノに執着する人、ヒトに執着する人、みんな「不自由」だ。

このことに共感できるなら、「あのヒト(母親)が嫌い」っていうのは、不自由な生き方だとわかってくれるのではないかと思うのよね~。

同居せざるをえない「現実」を受け入れ、その現実の中で「自由に生きる」にはどうしたらいいか。。。
「相手が嫌い」とかいうネガティブな人間関係に「執着」することを止めるのが、第一歩だと思うのよ。。。

だって、もういい歳でしょ?オトナでしょ?どーせ、みんなもうすぐ死ぬでしょ?
なにを母親相手に「執着」しちゃってんの?って感じ。

レット・イット・ビー、さんざん聞いた世代でしょ?
ケセラセラ、知ってるでしょ?

と、姉貴には言いたくなる。うん。

「最後は親子だったよ」

この言葉に望みを託し、弟として立ち振る舞うことにするよ。

追伸
来年の2月に同窓会するかもって連絡来た
企画中とのこと。
Ramのところにも来た?
Ramはどうするの?

”ボヤッキー化”する今一番の要因

はじめに、愚痴を書きこむことをお詫びしておく。

バイクイベントに参加したことを書きこむ予定だったのだが、どうにも”この事”を書きこんで、愚痴を「昇華」させておきたいのだ(笑)。

基本的に、私は楽観的だと思う。
思い悩むことは多々あれど、最終的には「楽観論」に落ち着く傾向にある。

そういう意味では、この問題もそうなるかも知れないが、いやそうなってほしい!

愚痴の対象、つまり、私を”ボヤッキー化”させる今一番の要因は、「実家の姉貴とお袋さんの不仲問題」だ。

今日も、姉さんから「母親は認知症が進んで性格が変わった。嫌いだ。疲れた。」といったメールが届いた。
今年に入ってから、この手の連絡を受けるようになった私は、春先に「必要なら今のケアマネージャに相談し、認知症の介護サービスを受ける方向で話を進めてはどうか。」などと、一応、自分で調べたことを返信したりしている。
しかし、今のところ、姉さんにとっては問題解決にはいたっていない。

一方、お袋さんの様子はどうか。
確かに年齢(90歳)なりの物忘れは顕著だ。しかし、病院の付き添いで帰省したときや、週に一回のメールや電話で会話するとき、性格の変化などは感じることはない。
むしろ、帰省した時に感じるのは、姉貴の態度の悪さの方だった。母親の言動にいちいちイライラしている印象だ。
そして、お袋さんの方も姉貴の言動に愚痴をこぼすことが多い(昔から)。

いやはや困った。

俺的には、年老いた母親のことは大目に見てほしいと姉貴に言いたくもなる。別に暴力ふるわれたり暴言を吐かれているわけでもなく、身体的な介助が必要な状態でもないのだ。物忘れがひどいのはわかる。
しかし、高齢者って”そういうもの”
姉貴には、「何をそんなに怒るのか、イライラするのか」と、言いたくもなるが、これは言わないようにしている。

しかし、言ったとしても、しょせん「あんたは一緒に住んではいないからわからない」。。と、姉貴に言われるのがオチだろう。

そして、姉貴が母親の言動にストレスを感じているのは事実。
疲れて仕事から帰るのに、帰る家にストレスを感じているのはかわいそうだから、何とかしたいのだが・・

「自分の機嫌をとれるのは”自分だけ”」

この名言を、姉貴、そしてお袋さんにも、徹底して説き伏せたい衝動に駆られる今日この頃だ。

以上、ボヤッキーの独り言でした。

週末の出来事

今、病室でこの記事を書いている。
デュアルに僕の状況を伝える方法が、ここしかない(笑)

去る4月5日。雨上がりの曇り空。この日は家から二駅ほどウォーキングをしようということで、豪姫と悠時と3人で歩いていた。まぁ~普段通りの風景。
陸橋(線路を跨ぐ橋)を普通に上り、下りの階段で事件発生。アルミの階段淵はあまりにも滑りやすく、運動靴でツルっと「ぼきっばきっ」ぐぁ!
救急車に運ばれ、救急病院で、「あー完全に折れてるね。これ早く手術した方が良いね。腫れるよぉ」と脅されつつ、応急処置で簡易ギブスを付け、松葉づえのレンタル金合わせて3万ほど払い、いったん帰宅。


次の日、紹介してもらった総合病院へ行き、朝からレントゲンやらMRIやら慌ただしく状態確認をされ、緊急入院すべきだけど病室が満杯で7日に入院ということで。っで4万近く失い、いよいよ入院

・・・7日入院の朝だ。その時、電話があり「この病院では手術できません!」と突然の突き放し。

これには流石に参ってしまい、理由を伺ったところ、糖尿は薬で処置されていて、通院病院かっらも言質を取った。が、腎臓の数値が芳しくない。このまま全身麻酔をすると、肝不全を起こし、透析をする羽目に。が、この病院は対応できる医者がいない。なので他所の総合病院に紹介状を書くので、そこで診察してほしい。」
となった。痛みをボルタレンなどで抑えていても、グラグラするのが判る足首。直ぐに手術しないとと言われながら先延ばしされている不安などから半分パニック。

更に、もう行くことのないその病院に紹介状料金やら経費やらを数万とられ、あっけなく僕の財布は底をついてしまった。

そこでデュアル神降臨というわけだ。

これで初診料の心配は無くなり、高額医療の場合はまた別途考えることにしよう。
8日の朝6時。紹介された総合病院。紹介と言っても一般外来。何も調べてくれていないらしい。ただ肝臓の処置ができる先生がいるという情報だけで紹介された雰囲気。場所は自宅から車で30分の距離。僕と豪姫は病院すら決まらない不安の中、藁をも掴む思いで今いる病院に向かった。
想像以上に大きな病院。受付もしっかりしている。紹介状と内容を観て、直ぐに担当医が決まり、再び
レントゲン、MRIやらの撮影、血液検査などを行い、先生とご対面。足を見るなり、「いやぁ痛かったでしょ。放置してるので浮腫とか腫れが酷い為、とりあえず今日から緊急入院で、創外固定手術(グラグラした足を固定し、腫れが引くのを待つ手術)をして、腫れが収まったら本手術の流れで、腎臓の数値は気になるけど、どちらにせよ手術しないとダメな状態だから承認してください」
「はい!判りました」快諾ですよ。漸く手術してくれる病院が見つかった安堵と予定が組める安堵が重なり泣きそうになったほどだ。そのあと様々な検査が行われ、いよいよ手術。
脊柱麻酔といって、背中から麻酔薬を流す局所麻酔で創外固定を行います。と説明。背中に麻酔薬が打たれる。激痛が走る。麻酔薬が打たれる。激痛が・・・実に6本もの麻酔薬を打たれ「まれにあるんですけど、骨と骨の隙間が狭くて針が入っていきませんので、全身麻酔に切り替えますぅぅぅ」
急遽全身麻酔に切り替わり、豪姫の承諾(肝不全の認知)やらひと騒ぎのあと、麻酔薬を投入し、マスクで息を促されて気を失った僕・・・・
目覚めたら夜だった。なんと一真の心配する電話で目が覚め、覚醒したのだった。全身から管がでている。

ばーん。現在WWW。ちょっとグロいので、食事をバックにとってみた。
今日はテレワークで仕事もした。リモートMTGも行い、自分しかできない仕事、周囲に回せる仕事を区分けした。
辛いのはおしっこ!おむつを二重に履かされていて、自分の意思で布団の中でおしっこをする!
これが何とも異様で慣れない。そのあとナースコール。どーしました?おしっこがでました。はーい!
僕のちじこまったマグナム44をつまみ、手際よくおむつを交換・・・辛いWWW

とまぁザーッとの流れで伝わっただろうか。とにかく金策まで講じなけりゃならないほどの事態だったので、ふと、デュアルに頼んでみようと頭をよぎったのは大正解だった。ありがとう!ほんとありがとう。
まずはとりあえず、近況説明まで

母校の評判

我らが母校、福岡市立高取小学校。
その評判、というか口コミサイトを見つけた。ご存じだろうか?
みんなの小学校情報

職場の話題で、大阪市内に引っ越してくる若い夫婦が、子供(今、保育園児)の小学校とかのことも考えて。。。という理由を話していたのだ。

都市部の小学校なんて生徒不足で統合や廃校の嵐だろうと言うと、公立校はともかく、私立で狙っているところがある、とのこと。流石に今時のパワーカップル、経済力はあるらしい。

で、ふと気になって、我等が母校、高取小学校の情報をググってみたわけだ。

上述の口コミサイトを見て驚いた。
少子化のこのご時世に1学年7クラスぐらいあるらしい。確か我々の場合は3〜4クラスだった思い出。今の出生児数は、我々世代の丙午をも下回ると聞いていたので一学年7クラスには驚いた。

RAMジュニアの二人の小学校はどうだったのだろう。1学年のクラス数。

あと、口コミの中でネガティブな評価を書き込んでいる保護者で目立つ「生徒数が多いので先生の目が行き届いていない」と言うもの。

これを読んで気の毒な気持ちになった。もちろん、先生にね。
体罰禁止、ゆとり教育、モンスターペアレンツ、登校拒否児童、スマホにSNS問題。。。我々の時代には無かった、もしくはマイナーだった問題が、これだけ顕在化した教育現場で、先生を志す人も少なくなったこの時代に、1学年7クラスの小学生の面倒を見なければならないのだ。先生のご苦労はいかばかりかと思う。

あと、これだけのマンモス校の運動会は凄まじいだろうな。。。
そういえばRAMも場所取りの奮闘記を書き込んだことがあったね。早朝の開門前の学校に群れなすお父さんたち。ルール化もかなり進んでいるのだろう。

不意に小学校の時の家族で食べた弁当の味を思い出した(笑)

久々に母校・高取小学校のことに触れた。
今現在の保護者たちにどんな悪い口コミを書かれようと、我々にとっては素晴らしい思い出が創れた小学校であるということに変わりはない。

つきなみな言い方だが、誰になんと言われようと我々にとって小学校時代は、数ある「古き良き時代」の大きなひとつ、なのだ!