お袋さんの詳しい検査結果がでた。
背骨に多発した腫瘍は悪性腫瘍(ガン)
しかし、これは転移したものだが、元のガン(原発巣)は不明
全身の検査、血液検査の結果、悪い結果はなし
圧迫骨折した脊柱はほぼ改善
ということで、医者からは退院の許可がでた。
もともと、この担当医から「年齢、骨折、そして骨転移の腫瘍ということを考えると、怪我をする前の生活に戻るのは難しい」と脅されていたのに、あっさり「退院」の言葉が出たときには聞き返してしまった。
で、ガンの方も、あらゆる検査をしても原発部位がわからない、本人も元気、背中の腫瘍も直ちに危険という状況ではない、ということで当初に危惧した緊急性は薄れたらしい。
今後は、専門のがんセンターで診察してもらって、治療方針を決めることになった。
最初に病院でみたお袋さんは、怪我から4日後だったか、一人ではベットからも起き上がれず、車いすを押して移動するしかできなかったが、約一ヵ月後の昨日は杖なしでも歩けるくらいに回復していた。
検査結果でガンと説明されたことに対する過剰な反応は、お袋さんにはなかった。私も最初の一報から想定したケースに比べると、かなりベターな方だったのでショックはなかった。むしろ、杖なしで歩き回る回復状況にビックリした。
そういう状況だったので、いくら安全性を考えても、これ以上入院を継続するのは精神衛生上よろしくないと思われた。
今後、退院の段取りとして、私と姉がサポートできる日に退院し、紹介状を出してもらったガンセンターを受診、その他、地域福祉のケアセンターとの相談などを病院の相談スタッフと一緒に考えることになった。
今回のお袋さんの件でガンに対する自分の考えを練り上げることができたと思う。
お袋さんをはじめ、多くの高齢者は「ピンピンコロリ」、元気に生活しているうちに突然死んでしまう死に方を希望していると思う。
そういう人にとって、ガンは死の恐怖と苦しみを人生に落とし込む最悪な存在であり、そんなの知りたくないという思いだろう。
お袋さんは、「ピンピンコロリ」の目論見は外れたが、ガンになっても「ピンピン」であることを目指すのは変わらない。「コロリ」が「ユルリ」程度になるよう適度な治療をすることになるだろう。
そんな「治療」というメニューが加わった生活をこれから送る。
でも、そんな生活の中、別の原因で「コロリ」となることもある。
結局、ガンになろうが関係ない。健康であろうとすることに変わりはないのだ。
お袋さんが「70歳以降は(自分の考えで)健康診断を受てこなかった」と聞いたときは後悔した。お袋さんは「ピンピンコロリ」を誤解していたのだ。それを是正するアドバイスができていなかった自分に後悔した。
ある日突然という意味の「コロリ」は、健康診断の結果から目をそらし続けて”その時を待つ”ではダメなんだ。
過度に健康にコストをかける必要はないが、やるべきことをやることで病気になっても早い回復が見込める。「ピンピン」の期間を維持できるんだ。
ということで、お袋さんの「手術とか身体に負担のかかる措置は望まない」という意思は尊重するが、自分の身体に何が起きているかを知る検査と、「ピンピン」でいられるための治療は積極的に受け入れてほしいと思った。
「ドキッ」から始まった今回の案件、今のところこんな感じに落ち着いた。
デュアルのお袋さんは強いなぁ。子供達には迷惑をかけられないという強い意志すら感じる。
とにかく体は朽ち果ててゆくばかりで老いと付き合っていく過程で、それは我々にとっても同じことが言える。
なんだか福岡ではおすぎとピーコさんが重度の認知症で、おすぎは昨年認知症状が認可され現在高齢者施設に入居しているというが、双子のピーコさんは行方不明のまま見つかってないという。
78歳なのだそうだ。医療で生かされても、脳だけはどうしようもない。
俺の親父は、既に姉貴の顔すら判らなくなってるという。我々は究極の二択を医者に委ねることになるわけだ。1は脳みそが元気だけど体はボロボロ。2は体は元気だけど脳が認知症。
どっちも長生きさせられるのだとしたら、自分で考えられる1の脳みそは元気を選びたいもんだ。
1の選択 まったく同意だ。
しかし、私の場合、現実は厳しい。
昨日のことだ。
福岡から帰ってきて夕食をとろうと、「ちょっと雑炊」を作った。その際、健康を意識して、クエン酸の粉末を小さじ一杯入れてみた。
いつもの卵を加えて、ほどよく焚けたその雑炊を一口食べる。
ひどい味。クエン酸の酸味の味しかせず、ゲロまずだ。
しかたない、我慢して腹に詰めるだけと思い、食べ続けるが、とても駄目だった。三回、口に運んだところでギブアップ。作り直した。
再び台所に向かうと、未開封の雑炊のスープの粉袋が放置されていた。
そう、スープを入れていなかったのだ。忘れていたのだ。
この物忘れに、我ながら恐怖したよ。