従兄弟の葬儀にて

この週末、母方の実家・佐賀に行き、従兄弟(弟)の葬儀に参列してきた。

先のスレにて報告した年始に自宅で独り死んでいるのが発見された従兄弟の葬儀だ。その葬儀で目の当たりにした二つのお話。長文でゴメンだけど書き留めておきます。

葬儀は福岡県久留米市から車で15分ほどのところにある佐賀の実家近くのお寺で行われた。お寺には話を聞きつけた地元の友人、男女併せて二十名ほどが駆けつけていた。地元を離れて30年以上経っているのにこれほどの友人が自然に集まるなんて、活発で友人が多かった故人の人柄を象徴している・・・とお寺の住職さんが驚いていた。さらに葬儀場には無くなった静岡県の仲間達からの贈り物が届いていた。それは写真と寄せ書き。

喪主を務めた従兄弟(兄)によると、静岡の地元では弟はちょっとした有名人で飲み屋街ではその名を知らない人は居ないと言われたらしい。写真を送ってきてくれたのは二つ別々のグループ。一つは行きつけの美容院夫婦のグループ。お客というより友達として付き合っていたらしく、飲み会やバーベキューなどたくさんの仲間と遊んでいたそうな。もう一つのグループは、これも行きつけの料理屋のご夫婦が中心となった主にボーリング仲間のグループ。それぞれのグループの写真をみると同年代というより若い年代の男女の集まりだった。料理屋のご夫婦は年末に連絡が取れなくなった時、このご夫婦が周囲の緊急病院に片っ端から電話をかけて弟が担ぎ込まれていないか探してくれたそうな。さらに先の美容院夫婦も連絡が取れないことが不安で、弟の住む部屋の大家に「部屋の中を訪ねてくれないか」とお願いしたとのこと。しかし、大家は動かず、いよいよとなって警察にお願いして発見に至ったらしい。従兄弟(兄)たちとは遺体が安置された警察署で会うこととなり、その後のやりとりが続いたそうな。静岡で火葬されたその日、それぞれグループは弟の遺影を飾って偲ぶ会を開いてくれた。今回の葬儀では、そのときの写真も含めて、弟さんとの楽しい思い出の写真をパネルにして送ってきてくれた。寄せ書きには「ありがとう」「楽しかった」「忘れない」などなど。。。

私が最初に聞いた話では「寂しい最後」をイメージしていたけど、この葬儀に集まった旧友たちと、送られてきた静岡の仲間達の写真と寄せ書きをみて、救われた想いと感動すら覚えた。。。というお話が一つ。

もう一つのお話は、従兄弟(兄)と従兄弟(姉)から聞かされた話。

警察からの電話で静岡に向かった従兄弟(兄・姉)。遺体が本人であることを確認した後、遺品整理にと弟さんが住んでいた部屋を訪れたとき、その室内の様子に絶句したそうな。室内はゴミ屋敷のように散らかっており、弟が横たわっていた布団は破れ、カビも生えていた。警察の人も最初に立ち入ったときは生活苦による死因ではないかと思ったとのこと。姉はこんなところで弟は独りさみしく死んだのかと想い、号泣してしまったそうな。そのときに判明したのだが弟さんは7~8年前に会社を辞めていた。それまでの貯金と退職金、そしてアルバイトなどで生計を立てていたのだろう。借金などはなく、貯金は数百万円残っていた。

年末の経緯も明らかになってきた。年末になくなった叔母(従兄弟達の母親)が11月末に入院したとき、兄は弟にもメールしていた。おそらくそれを見てだとは思うが、弟さんは料理屋のご夫婦に「12月はいろいろ忙しくてイベントには顔を出せないかも知れない」と言っていたそうだ。そして12月に入ってから連絡が取れなくなったとのこと。部屋を訪ねるも鍵がかかったままだし、携帯電話は鳴るけど出ない。メールを送っても返信が無い。普段の弟さんを知っている仲間たちからすれば「ただ事ではない」となったそうだ。私が先のスレで報告した年末年始にかけて連絡が取れなくなったというのは誤りで、12月の初旬から音信不通になったとのこと。さらに警察の検死の結果は死亡時期は12月下旬(くも膜下出血によるもの)。。。これらのことから弟さんはくも膜下出血の症状で身動きが出来ないながらも、しばらくは生きていたのではないか・・・という絶望的な推測。さらに中旬頃、仲間の依頼どおり大家さんが部屋を訪ねていてくれていたら・・・。もし、会社勤めをしていたら無断欠勤になるから会社の人が様子をみてくれたのではないか。。。という悔恨の思いが駆け巡る。

インスタント食品のゴミの山。。風呂はあるけど汚れて使える状態ではなかったようで近くのスーパー銭湯のチケットが多数あった。遺品整理をしていたとき、美容院ご夫婦が訪ねてきて部屋の様子に絶句していたらしい。普段も部屋の前までは来たことがあるけど部屋に上がったことはないとのこと。会社を辞めていたことはごく一部の仲間は知っていた。このご夫婦も知っていた。動機について、転勤を断ったら他の家族持ちの社員が転勤することになり居づらくなったと話していたという。40代で退職し、再就職も難しかったのか、それともあえて定職には就かなかったのか・・今となっては解らない。。。これが葬儀で聞いた二つ目のお話。

佐賀と静岡、そろぞれに多くの仲間がいて慕われ、少なくとも写真で見る限りでは楽しく暮らしていた弟さん。そして、一方では仕事を辞め、荒れた部屋で暮らし、人知れず死んでしまった弟さん。。。この二つの話のコントラストに私もうまく言葉が出ない。

従兄弟(姉)によると、弟の部屋には書きかけの履歴書があったそうだ。そして弟の車もちゃんと動く状態で駐車されていて、そのカーナビの目的地の設定は佐賀の故郷になっていたとのこと。おそらく、母親の入院を聞きつけて数年ぶりに故郷へ帰る準備をしていたと思われる。そして再就職の準備も。。

以上、従兄弟・・・というより、ある同年代の男の人生にまつわる二つのお話だ。。。合掌。。。

困った息子

そう。デュアルに4年生祝いまとめを頂いたのは去年の4月頃。ご推察どおりの状況。一真は「いじめっ子」ではなく、どちらかといえば「いじめられっ子」なのも変わらず。子供のサッカーの状況が変わったのも4月から。ちょいと分析してみた。

その1)コーチが代わった。
これは大きな変化だった。今までYコーチが低学年、高学年と面倒を観てくれていた。このコーチはもとサッカー選手で、学生時代、名門学校でチーム内で競争するサッカーを経験し、サッカーが楽しく思えなかった過去の思いもあり、ボランティアでコーチをしてくれていた。なので方針は「小学生らしく、みんな仲良く、全員で頑張ろう。」という方針で、脱落者もなく、みな和気藹々と、楽しいサッカーだった。まぁ低学年なんてホントのどかなサッカーで、皆ボールにワーッと群がるだけ(笑)。コーチには一真もとても良くして頂いていた。
4年生になり、Sコーチが4年生を担当する事になった。このSコーチの方針は「勝ちに行くサッカー」。出来ないメンバーは容赦なく切り捨てる狂犬で有名。

まぁ必然的にYコーチとは方針が合わず(Yコーチは小学生らしい楽しいサッカーを教えたい。Sコーチは勝てる試合をしたい。)、結果、Yコーチはサッカーコーチを辞めてしまう事になった。
Sコーチは勝ちに行くサッカーをするので、これまでと試合運びも一転。信じられない程成長を遂げ、今までお遊戯だったサッカーが、ゴールもバンバン決まる「勝てるチーム」に生まれ変わった。
親御さんは喜ぶ半面、試合に出させて貰えない子供も増え、不満もあるが、やはり自分の子供が出なくても試合に勝てると嬉しい。要は息子が真剣にサッカーに取り組めるかが決め手となってくる。選抜メンバーにならないと、練習メニューも異なる事から同メンバーの中で壮絶な争いが始まった。

その2)明確な実力差が出てきた。
サッカーが上手な子供と、サッカー運動音痴の子供とが明確な差が出てきた。4年生にもなると、しっかりポジションを持ち、隙あらばゴールを狙え!と檄が飛ぶ。普段から遊びにもサッカーを取り入れている負けん気の強い子供達は、相手の位置関係も把握し、しっかりとボールを捉え、パスを回せる年齢だ。が、運動音痴の子供達はそんな動向には付いていけず、明確な差を埋めることもできず、隅っこで自主練習をしてろ!ってなる。

その3)自閉症の子供K君の存在。
自閉症の子供K君。母子家庭で、母親は最初に「この子は自閉症なので!」と宣言している。
まぁ自閉症と言っても色々あるが、この子の場合、他人と接触する事が苦手で、喧嘩をふっかけることで注意を促すというタチの悪いタイプの自閉症で、まぁ周囲も先に判っていた事なので、叩かれたり、殴られたりしても穏便に納めていた。この子は手当たり次第喧嘩をふっかけていたのだが、3年生になると、周囲の反発から孤立していたK君。その頃、ターゲットを一人に絞り込んだ。その相手が一真だ。
それから、一真はいつもK君に喧嘩をふっかけられ、喧嘩をするという構図が出来上がった。これがバツの悪い事に、普段は仲良しで、いつも一緒に居て、突然喧嘩をふっかけられ、二人を引き離してもまた一緒にくっついているという・・・先に書いた水筒を振り回した事件もこのK君にしつこく攻撃された挙げ句、一真が水筒を振り回したら、K君の頭に当たったというものだ。
周囲の親御さんも様子を観ていたので一真は悪くないとはなったが、小学生は喧嘩両成敗が一般的。どっちも試合に出させて貰えなくなってきた。他の親御さんは、ターゲットが一真に集中し、自分の子供では無くなったので、ホッとしている面もあるのかも知れないが、必要以上に一真は目立ってしまってる。

とまぁ、客観的な・・・いや、親から「ひいき目」に観るとこんな感じの分析だ。一真はこのような周囲の変化に付いていけず、翻弄され、自暴自棄になっているのだろう。一真は、辞めてしまったコーチの「みんなで楽しく和気藹々と」が好きだったから、今の「勝ちに行く」コーチの方針と趣旨が合っていないのだ。

まぁサッカーはお遊戯ではないのだから、勝たなきゃ意味も無いのも判る。前に書いたと思うが、4年生から対流試合も増え、他校と競い合うスタイルへ代わっていく。
だが、「小学校」で生徒同士で実力差が出てきたとき、「駄目な子供とも協力し、助け合う。」姿勢ではなく「駄目な子供は切り捨てる。」となると・・・俺の息子の様に「出来ない子供」を持った親御さん達は、ただため息をつき、やりきれない「想い」で子供達を観るしかないのが現状だ。これが本来のサッカーなんだろう。名門サッカーチームはこういったジレンマの中、抜きんでた子供を育成する訳だし、仲良し倶楽部だった低学年のサッカーが切り替わるのも、まぁ、小学生からそんなに??小学生なら和気藹々で良いじゃん・・・とかも想うけど、、、。

一真は、それでもサッカーが好きだと言って練習に打ち込む姿は立派だし、小学校6年まで辞めないという強い意志も賛美に値すると思う・・・が、現実はチームの中で「サッカー出来ない子」となってしまい、急な変化に付いていけなかった息子は、ボールに積極的に関わらなくなり(走らない)、ベンチに入れられると興味を持てずに寝てしまうなどの行為を繰り返し、コーチの目には「出来ない子」から「問題児」へと発展している要因なのだろうと推察する。Sコーチは自閉症の子供の事を4年生から知った訳だし、一真との小競り合いを観て愕然としたのだろう。片方は病気と宣言しているので、一真に問題意識が集中してしまっているのも判る。

更に俺は、少年サッカー会長役を担当している。正式には「少年サッカー育成会」の会長だ。会長としては広く子供のサッカー人口を増やす事に力を入れたい。「サッカーは楽しいよ」「まずは見学に来てネ」と呼びかける・・・真逆だ。

まぁ〜恐らく俺はSコーチとにとって、とてもやりずらい親なのだ。一真はその狭間に居る子供なのだ。

子供がそんな感じだと、親の責任が問われるのも判る。俺は基本、子供の意志を尊重し、自由にしたいのだが、その結果、団体行動に支障をきたすと問われれば、「一真君の親は(俺)なんだもんねーーーこれ以上は言えません」と、変な感じになってしまい、顕著に親御さん達の俺に対する態度も変わって感じるようになった。

もう一人、俺達と同じ歳のBコーチと遠征で車が一緒になり、「(俺)が子供に叱りすぎるのではないか?」と疑いをかけてくる始末。
(このBコーチは職業が警察官(警視庁に勤める役員)でボランティアでサッカーコーチを引き受けてくれている)

俺は、口で言っても判らないなら叩く。それがBコーチの「子供は叩かない」という方針とぶつかってるらしい。いや、口で言って判らない子供はぶっ叩くだろ(笑)・・・現代では通用しない。警察的には俺も要注意人物だ。
ヤレヤレなのだよホント・・・。

サッカー代表選手 清武のセレッソ復帰について

いま、日本のサッカーニュースで一番の話題はコレ!スペイン1部リーグセビージャ所属(現リーグ順位3位)の清武(27才)が古巣のセレッソ大阪に復帰したことだ。我がセレッソのことなのでここでも触れておきます。

今回の復帰劇が異例なのは二つある。一つは、欧州で最も活躍している日本人選手が怪我とか年齢的なこととか抜きに日本に帰ってきたこと。所属していたセビージャは強豪チームで競争は激しく、清武が移籍してすぐに監督が交代。今シーズンは出場機会に恵まれなかったことは確かだが、まだまだヨーロッパで活躍できることは周囲が認めるところ。セビージャのフロントもそう言っている。そんな選手が、ヨーロッパでのキャリアを辞めて日本に復帰する。かつてないことだった。なお、これには彼のお子さんが病気で、その治療のためという情報もある。

もう一つは、この時期に多額(約7億)の移籍金をJリーグのチームが支払うことができたこと。この時期はどのチームも補強はほぼ終了し、キャンプインしている。つまり、補強のための予算は消化している段階。その段階で約7億もの移籍金を払えるなんて・・・Jリーグのチームではなかなか考えにくい。これについても裏事情をセレッソの社長が語っている。「当初は移籍金が高いので断るつもりだった。しかし、スポンサー企業に相談したら”清武選手を日本の他のチームでやらせれるわけにはいかない”とのことで、移籍金を用意してくれた」とのことだ。

清武はセレッソのエースナンバー8番を引き継いだ選手。香川と並んで欧州移籍後の活躍は周知の通り。セレッソの顔といえる。その選手が活躍の場を求め(それとおそらくは家庭の事情で)日本復帰を希望している。ここは古巣チームとして一肌脱がないわけにはいかない!ということだろう。普段は文句がいっぱいあるスポンサー企業だが、今回はよくやったと褒めてやりたい。

さて、清武が加入したセレッソは間違いなく戦力アップした。主な代表経験選手をリストアップしてみよう。

FW:柿谷(ブラジルW杯代表),杉本(ロンドンオリンピック代表)

MF:清武(現代表 スタメン・司令塔),山口(現代表 スタメン・ボランチ)

DF:山村(ロンドンオリンピック日本代表),ヨニッチ(韓国リーグベストイレブン、クロアチア年代別代表)

GK:ジンヒョン(韓国代表GK

サポータとしては、ものすごく期待が高まる布陣だ!が、しかし、かつてワールドカップ得点王のフォルランが加入したときに味わった苦渋がトラウマになっているので過度の期待はしないようにしている(笑)

それでも今年のセレッソは注目だよ^^

なんとなく 田舎で(笑)

この週末、天気がよかったので引っ越し先の候補地を目的地としたジョギングをやってきた。

往復約2時間。距離的には16キロほど。良い運動になった。

 ちょっと前にも引っ越しネタを書いたけど、言うほどには本腰を入れていない。

今のマンションがすごく気に入っているし。。。では、なぜかというと。。結局、定年後の身の振り方が決まっていないことが落ち着かない原因。

家やマンションを買っていれば悩む必要は無い。それもこれも定年後を大阪で過ごすのか、福岡に戻るのかも定まっていないから持ち家という選択肢にはどうしても踏み切れないから。

 仮に今現在、私が「家庭」を持っていたとしたら、福岡に戻るという選択肢の優先順位はかなり低くなっていただろうけど、オイラは独身。どうにでもなるという自由さが、先行き不透明というか、何とも居心地の悪さを醸し出している(笑)

 年末の叔母の葬儀の際、七つ年上の従兄弟が参列者に対して「私は定年後に、ここ故郷に帰ってきます」と挨拶をしていた。神戸で家を建てたと聞いていたから少し驚いた。そして、明確に定年後の生き方を挨拶できるのはスゴイと思った。今度、定年後のライフプランについていろいろと聞いてみたいと思っている。

 翻って私はどうか。今の会社では60才の定年後は皆、再雇用という手続きを経て6570才近くまで働いている。ただし、そのときの報酬は新入社員並みだ。必要とされている間は働きたいという気持ちはあるが、年金受け取り年齢の65才までは働いて、その後は福岡という選択肢もあるし、定年後すぐに福岡に帰るということもある。ただ、その場合、年金受け取りまでの5年間を貯金でまかなうことも考えなければならない(もちろん、福岡で働ければベターだけど)。なので、今の段階で貯金をはたいて「家を買おう!」とはなかなか思えない。

 

一方で、物件を調べていると、低金利の世の中を反映して、新築マンションの販売情報がこれでもかと目に飛び込んでくる。そして、もっと目に付くのが中古物件。その数の多さ、価格の手ごろさは見事なほど衝動的に買ってしまいそうな価格帯だ。おそらくは今後、人口減少と高齢化が進めば、もっともっと中古物件が増えるだろうし、価格も低くなっていくのではないかと思う。そうならば家賃を支払うより、お得な物件を買って持ち家を持った方が得じゃね?という思いがふつふつと湧いてくる。ただ、分譲マンションには修繕積立金や共益費など月2~3万はかかるという。一戸建ての方も十年、二十年の間にはリフォーム代として数百万単位の費用をストックしておくことが望ましいとか。。。結局、持ち家になったとしても居住費コストから解放されるのは難しく、人によっては賃貸よりお得という程度のようだ。

 そんなことに思い巡らせているうちに、私の場合、独身なんだから子供部屋も必要ない。学校の近所である必要も無い。毎日の料理に労力を費やしてもいないのでスーパーなどが徒歩距離圏内にある必要も無い。今の大阪市内のマンションは単純に贅沢じゃね?と思うようになった。もう少し田舎で暮らそう。。。かなと。あくまで「定年後の身の丈」という視点に立った場合だけどね。

それで今のところより田舎の安い物件を物色中というわけだ。ただね、安くてお得そうな物件は確かにある。でも、今のマンションから引っ越してまで・・・というのはなかなか無い。今のマンションが気に入っているから、「身の丈に合った」という妙な屁理屈を考えて自分を動かそうとしても、なかなか割り切れないし動けない^^;生活に対する「煩悩」が無くなれば田舎に引っ込んで大人しい生活というのも可能なのだろうが、その「煩悩」が無くなることに一抹の寂しさを覚えるのも正直なところだ(笑)