あれから10年ですか。
3月11日。10年前のその日は職場で地震を感じたっけ。まさに船酔いのような長期周期の揺れ。職場のテレビをつけて、その震源地が福島県沖とか、マグニチュード8(速報)と聞いたときはビックリ仰天したっけ。その後の津波の映像にも。ま、さらにメルトダウンまで経験することになったけどね。
今、人類史に残るようなパンデミックを経験しているけど、東日本大震災も間違いなく、人類史に残る、映像の記録が残った自然災害だ。
今現在、復興がどの程度進んだかはわからんけど、このパンデミックもこうして思い返す日がくるのはわかっている。
なので、とりあえず、今日も頑張っていきますか、ね。
俺は1995年の阪神・淡路大震災の方が、デュアルとの絆を感じた。デュアルのお姉さん、お母さんとデュアルの電話が繋がらないことで何十回も電話し、漸く連絡がついた時、俺は泣いたよ@@;。
東日本大震災は、いろいろ教訓が出来た。
地震直後、豪姫から悲鳴の様な電話があり、目黒から家を目指し歩き始め帰宅難民となった。血豆を潰して帰宅できるまで、およそ5時間。あの時はもう必死だったが、余震で窓ガラスは降ってくるわ看板は倒れるわ、事故現場をすり抜けすり抜け、今思えば危険なことをしたなと思う。それほど家族が心配だったし、一刻も早く帰らないとという想いだった。家では家財道具はぐちゃぐちゃ。テンちゃんの犬小屋が大破し、パソコンが壁に刺さっていたのをみて唖然としたもんだ。布団に包まり家族がブルブル震えてるとこをみて、あー無事でよかったと泣いたよ。
こういう節目でも涙が出てしまう。涙腺はとうに崩壊してるWWW