『「いき」だねぇ』、という日本語。
この言葉をアカデミックに考察して日本人の思想、美意識を研究した人がいる。
九鬼周造さん(1888~1941)が著した『「いき」の構造』に興味をもって読もうと思ったけど、Amazonのレビューをみて難解そうなので断念。
かわりに、この本を解説した形の本”『「いき」の構造』を読む”(安田武・多田道太郎)を読んでいる。
それによると、「いき」という言葉が日本で使われ始めたのは「火事と喧嘩は江戸の華」と言われていた江戸時代の江戸。新陳代謝の激しい時代の俗世で生まれた美意識だという(自分でも何を書いているかわかっていない)。
「いき」の反対の意味の言葉は何か?それは「野暮」。今でも野暮用とかいうよね。
『「いき」だねぇ』と言われることもあれば、『それは「野暮」ってもんだよ』ってな感じ。
まとめ
腕時計の電池交換を自分でできるようになったram
→ 『「いき」だねぇ』
ソーラー発電の電波時計にするといいよというDUAL
→ 『「野暮」だねぇ』
これが言いたかった。
うーむ、いき、いなせには当てはまらないような気がする。「酔狂」なんかどうだろ。
腕時計の電池交換を自分でできるようになったram
→ 『「酔狂」だねぇ』
がしっくりくると思う。どうでしょ?
ソーラー発電の電波時計にするといいよというDUAL
→ 『「野暮」だねぇ』
そもそも俺が好む腕時計(ジャンポールゴルチエやマーベルなどのDCコミック)はソーラー発電や電波時計は存在しない。
豪姫が好きなブランド時計や宝石メーカの腕時計もソーラー発電は存在しない。これは現代も変わりない。
無理やりカテゴリを分けると、俺や豪姫は「見た目」重視の腕時計を好むことになる。防水機能すら怪しいが、それでも機能より「見た目」が大事。
見た目重視の腕時計なので、そのほとんどが電池時計という事になる。
デュアルのいう「ソーラー発電の電波時計」は、見た目より「機能重視」。カシオやシチズンなどの腕時計が好きなのか、ギミック重視の人には有効かもしれない。
というわけで、デュアルの「ソーラー発電の電波時計にするといいよ」は「???」マークだったし、ある意味「なるほどそういう発想もあるね」くらいの感じだった。
というわけで全然気にしていないので野暮でもなかったりするよ(笑)