すでに日本には報道に自由がない

コロナの偏った報道とか、デュアルの返事とか観てて、ふと、「あれ?日本って共産国家だっけ?報道って自由あるんだっけ?」と疑問に思いネットをググったら、案の定だった。

自由ランク3 顕著な問題・・・顕著・・・はっきり目立つ、著しい。。。
韓国は自由ランク2・・・独自の歴史湾曲展開をするキチガイ国家韓国より低い。こりゃもう日本はかなり劣悪的な状況だということだな。あたし、かなーりショックを受けています。

報道におけるタブーについてウィキなどで調べると、ごくごく自然なことがあたりまえに書いてある。
当然、お金を出してスポンサーになってる番組で、スポンサーに楯突くアナウンサーはクビになるだろうし、ゲストも二度と芸能活動ができなるなるなんてことは今まで何度も見てきたし聞いてきた話だ。そんな忖度が蔓延し、タブーが生まれ、ジャーニーズ問題やら吉本問題、そしてグローバルな政治問題まで発展するんだね。

もう日本のTVやニュースなんか、いくら面白おかしく視聴率が稼げてる番組でも「信じてはいけない」=「見るべきではない」と自覚した方が良いのかもしれない

。すでにネットニュースにまでスポンサーの力は影響力がある。ここに自民党やら党がCM出してたりすると、もうそりゃ「信じてはいけない」ネットニュースなのかも知れない。デュアルのいう「気に入らないなら消せばいい」というのは一番アタリマエなんだけど、右向け右で飼い慣らされてしまった日本人にはなかなか脱却しがたい大きな問題だったりするね。噂話とか大好きな国民性だし(笑)

そういやゴリっと明朝体で大きく「日本國」と書いたTシャツ着てると反社とか言われるもんなぁ(笑)。

服をポチると・・・

服をポチると後悔してしまうのはなぜだろう。

昨日、年度末の書類仕事が一段落し、家でコーヒーを飲みながら「週末はどこかのサクラでも見にいこうかなぁ。。」とぼんやりブラウジングしていると、広告バナーに表示された服の広告に目がひかれた。

スプリングコート。モッズコートでスプリングコート。。。

ここから脳内会議が延々と続く。
「あ、好みのアイテムだ。買おうかな。」
「いやいや、春物なんて出番はあっと言う間に終わるぞ。ましてやスプリングコートなんて。昨日も日中20℃だったぞ。」
「でも、朝晩はまだひんやりするし、山の中のサクラを観る時には必要なんじゃない?」
「おいおい、それだけのために買うつもりか?必死だな(笑)」
「ん~、そうかな。やめとこうかな。」
「やめとけやめとけ、そんな無駄遣い。みなかったことにしておけ。」

(入浴タイム)

「でもなぁ、秋にも着れそうだしなぁ。」
「また、その話か。無駄な出費は押さえないと後悔するぞ。」

(パソコンの前)

「こういうの持ってないし、一着くらいあってもいいよなぁ」
「やめとけって。だいたい、この服のモデルは20代だろ?50代のお前が買ってどうする?似合わねぇって」
「そうだよなぁ。やっぱやめとこうかなぁ」
「そうそう。分相応ってな。ユニクロで十分だろ」
「でも、ユニクロには売ってなさそうだしなぁ」
「買うんかい?世の中不景気だっていうのに、そんな無駄遣いして許されると思、あっ!!」(ポチっ)

結局、服をポチって後悔するのは偶然出会った服に対して、買いたい理由を主張する自分と無駄遣いを説教する自分が発生、ポチった後は服を見つけたときの興奮が覚めるからだろうね。


一夜明けた今朝、私は後悔している。
ぜったいこれ着てサクラを観に行くぞっと心に誓うのであった。