考えるな。カンジろ

「考えるな。感じろ」とはブルース・リーの名言だが、この名言をもじったダジャレが頭に浮かぶ今日この頃。

「考えるな。漢字ろ」

コロナの緊急事態宣言が解除されてから、外出する機会を増やす中、ネタ帳というか記録ノートを持ち歩いている。例えば映画を見た後、近くのカフェに寄って、今観た映画の感想を書き出したり、読書した本の感想を書き出したりしているのだが、そんなときに漢字が出てこない。ほんとに出てこない。

その結果、あとで読み返すと、見るに堪えない小学生のようなノートが出来上がる(笑)

ま、思い出すための記録なのでそれでもいいのだけど、今年も技術士の論文試験を受ける予定なので最低限の漢字は勉強しないと。。と思い学習ノートを購入した。

EVERNOTEを使用したデジタルな記録で十分と思っていたが、ノートへの書き込みによるアナログな記録もなかなか味があるよ。ただ、きれいなノートを意識すると直感的なメモとか、より多くのアイデア出しが阻害されるので、そこは注意したい。

とはいえ、平仮名ばかりの自分のノートをみるのもツライので漢字も勉強することにしたというお話でした(笑)

Woooo まんぼー!!

イラつくコロナネタではあるが少しだけ。

とうとう私にもテレワーク用のノートパソコンが配布されることになった。
管理職としてどの程度のテレワークとなるかはまだ決まっていないが、とりあえずコロナのまん延防止が1か月間施行されるので、その期間中、週に何日かはにテレワークをすることになりそうだ。

ま、こうなったらそれを楽しむだけだけどね。
ストレスがたまったらここで愚痴るかも知れん(笑)

シン・エヴァ後日談

ramのコメント、NHKの番組、その他テレビシリーズの最終回の話などを知った。
そこでちょっとだけ追記的なことを書き込みたいと思った。

NHKの番組中で庵野氏のコメント
「自分(の健康・命)と作品、この二つを比べたら選ぶのは作品」(たぶんこんな感じのコメント)

自分の作品に対する強烈なこだわり。
この手のコメントは過去にも様々なアーティスが発していた気がするけど、番組を見たときは新鮮な印象をもった。この自分の印象を深堀すると、作品を仕事と考えたときに、私のようなサラリーマンは、こだわりと(仕事の)結果のバランスを考え、最も適切な「落としどころ」を考える。そういう生き方を随分と長くしているから、庵野氏のコメントにハッとしたのだと思った。

NHKの番組の中でもテレビシリーズの最終回について紹介されていた。ナレーションでは、唐突な印象を迎えた最終回の背景に「製作が追い付かなくなった」と一言説明していた。

シン・エヴァの製作シーンでも、庵野氏が撮り直し、作り直しを繰り返すシーンが紹介される。そこには机上の理論だけで作り上げたイメージや、予定調和的な流れは全くなく、仕事としての締め切りなんかも全く関係ない。彼が納得できないと進まないし、場合によってはシナリオレベルから考え直す。

あぁ、そういう人の作品なのね。エヴァは。
そういう庵野さんが作るエヴァを皆は待望していたのね。
そう思いました、とさ。

追記
NHKの番組の中で関係者を集めた完成披露試写会のシーン。庵野さんが挨拶のために登壇したときはテレビの前の私も思わず拍手してしまった(笑)。月並みだが凄い仕事をした人は素直に尊敬してしまう。

今思い出したが、番組最後の定番の質問「プロフェッショナルとは?」と問われ、庵野さんなんと答えたか
「僕、プロフェッショナルって言葉、嫌いなんです(笑)」
斜め上を行く答えに私も苦笑いしたけど、彼の中のプロのイメージって万人受けするスマートな仕事をする人のイメージがあるのかも知れない。
だとしたら。。。嫌いだよね~(笑)

すでに日本には報道に自由がない

コロナの偏った報道とか、デュアルの返事とか観てて、ふと、「あれ?日本って共産国家だっけ?報道って自由あるんだっけ?」と疑問に思いネットをググったら、案の定だった。

自由ランク3 顕著な問題・・・顕著・・・はっきり目立つ、著しい。。。
韓国は自由ランク2・・・独自の歴史湾曲展開をするキチガイ国家韓国より低い。こりゃもう日本はかなり劣悪的な状況だということだな。あたし、かなーりショックを受けています。

報道におけるタブーについてウィキなどで調べると、ごくごく自然なことがあたりまえに書いてある。
当然、お金を出してスポンサーになってる番組で、スポンサーに楯突くアナウンサーはクビになるだろうし、ゲストも二度と芸能活動ができなるなるなんてことは今まで何度も見てきたし聞いてきた話だ。そんな忖度が蔓延し、タブーが生まれ、ジャーニーズ問題やら吉本問題、そしてグローバルな政治問題まで発展するんだね。

もう日本のTVやニュースなんか、いくら面白おかしく視聴率が稼げてる番組でも「信じてはいけない」=「見るべきではない」と自覚した方が良いのかもしれない

。すでにネットニュースにまでスポンサーの力は影響力がある。ここに自民党やら党がCM出してたりすると、もうそりゃ「信じてはいけない」ネットニュースなのかも知れない。デュアルのいう「気に入らないなら消せばいい」というのは一番アタリマエなんだけど、右向け右で飼い慣らされてしまった日本人にはなかなか脱却しがたい大きな問題だったりするね。噂話とか大好きな国民性だし(笑)

そういやゴリっと明朝体で大きく「日本國」と書いたTシャツ着てると反社とか言われるもんなぁ(笑)。

服をポチると・・・

服をポチると後悔してしまうのはなぜだろう。

昨日、年度末の書類仕事が一段落し、家でコーヒーを飲みながら「週末はどこかのサクラでも見にいこうかなぁ。。」とぼんやりブラウジングしていると、広告バナーに表示された服の広告に目がひかれた。

スプリングコート。モッズコートでスプリングコート。。。

ここから脳内会議が延々と続く。
「あ、好みのアイテムだ。買おうかな。」
「いやいや、春物なんて出番はあっと言う間に終わるぞ。ましてやスプリングコートなんて。昨日も日中20℃だったぞ。」
「でも、朝晩はまだひんやりするし、山の中のサクラを観る時には必要なんじゃない?」
「おいおい、それだけのために買うつもりか?必死だな(笑)」
「ん~、そうかな。やめとこうかな。」
「やめとけやめとけ、そんな無駄遣い。みなかったことにしておけ。」

(入浴タイム)

「でもなぁ、秋にも着れそうだしなぁ。」
「また、その話か。無駄な出費は押さえないと後悔するぞ。」

(パソコンの前)

「こういうの持ってないし、一着くらいあってもいいよなぁ」
「やめとけって。だいたい、この服のモデルは20代だろ?50代のお前が買ってどうする?似合わねぇって」
「そうだよなぁ。やっぱやめとこうかなぁ」
「そうそう。分相応ってな。ユニクロで十分だろ」
「でも、ユニクロには売ってなさそうだしなぁ」
「買うんかい?世の中不景気だっていうのに、そんな無駄遣いして許されると思、あっ!!」(ポチっ)

結局、服をポチって後悔するのは偶然出会った服に対して、買いたい理由を主張する自分と無駄遣いを説教する自分が発生、ポチった後は服を見つけたときの興奮が覚めるからだろうね。


一夜明けた今朝、私は後悔している。
ぜったいこれ着てサクラを観に行くぞっと心に誓うのであった。